「母さん母さん! ちょっと、」

 「なによ、キラ。もうすぐ始まるわよ」

 着替えやアクセサリーが出しっぱなしになっていたのをあらかた片付けながら、エルウィンが返事をした。

 

 結婚式がはじまる時刻まで、十五分を切っていた。この部屋にはキラとロイドと、エルウィンだけが残った。デレクは、準備のためにもう出ていった。

デレクが出て行った後、入れ替わりにメアリーとパドリー、そしておとついは会えなかったジェニファーも来て、エルウィンと挨拶を交わしていった。ジェニファーの具合が悪くなったら、途中で帰らなければならないかもしれないので、今のうちに逢っておきたいと、エルウィンが事前に言ったのだ。

 「すみません。無茶を言って。でも、娘がお世話になった方にご挨拶だけは、と」

 「いいんですのよ。……母さん、キラちゃんの、お母様よ」

 ジェニファーは車いすの上でにこにこと微笑んでいるだけで、あまりエルウィンに反応を示さなかったが、エルウィンがその手を取って「キラがお世話になりました」というと、「キラちゃん、綺麗なドレスねえ」と笑った。エルウィンとキラはそっくりなので、どうもエルウィンをキラだと思っているようだった。

 パーティーには一応、ジェニファーも出席することになっている。

 

 「ねえ母さん、その、デレクと……付き合ったりとかする?」

 「ええ?」

 エルウィンは、とんでもないことを言われたかのように、化粧し直した目力たっぷりの目を真ん丸にした。

 「バカねえ。そんな話はしなかったわよ。それに、母さん、一週間もしないうちに帰るのよ」

 「でもデレクは、母さんが初恋だって――」

 「それは、昔の話」

 エルウィンは、片付けるのをやめて、娘に向き直った。

 「キラ、それは昔の話なの。お互いにもう、こんな年だし。この年になればもう、それぞれの人生があるんです。いろいろあったのよ、デレクも。デレクはいい友達だし、こうして出会えたから、メール交換くらいはするだろうけど、」

 「デレクは、母さんと付き合いたいとか、言わなかった?」

 「言うわけないでしょ、何言ってるの」

 どうかしちゃったの、キラ、とエルウィンは呆れ声で言った。

 「何か勘違いしているようだから言っておくけど、あたしとデレクは昔同じ部隊にいたってだけの――いい友達なのよ。キラが、学校の同級生と、ぐうぜん会ったみたいなもの。おまけに、普段からすぐ出会える距離に住んでいれば、昔みたいに仲良くできたかもしれないけど、L77と地球行き宇宙船なんて、遠距離もいいところよ? メールがせいぜいだわ」

 「デ、デレクがなんとかL77に行くとか――母さんを、宇宙船にのせてくれるとか――」

 「キラ」

 エルウィンが拳を腰に当て、怖い顔をした。

 「あんたは、なんでそんなにあたしとデレクをくっつけたいの」

 「そ、そういうわけじゃ、」

 「ウチに、地球行き宇宙船のチケット買えるだけのお金はありません。あんただって知ってるでしょう? チケット当たったときにネットで調べて、オークションだと一億だとかとんでもないこと言ってたじゃない。それに、デレクは自分の夢を宇宙船で叶えたの。L77に来るわけないでしょ。バカなこと考えるのも、ほどほどにしなさい」

 「母さん……」

 「この話はこれで終わり! 今日は、あんたたちの結婚式なのよ?」

 「母さん、チケット、もしデレクが買ってくれるとか、――宇宙船の役員って、そういうのも割引ききくかもしれないし、」

 エルウィンは、もっと怖い顔をした。

 「あり得ないし、もしそんなことになっても、受け取れません。どうやって返せっていうの? ……キラ、頼むからやめてちょうだい。せっかくの結婚式なのに、バカなこと言って、ぜんぶぶち壊しにしないで」

 「……」

 キラはやっと黙った。エルウィンが、「ほら、ここは片付けておくから、あんたたち、今のうちにトイレに行っておきなさい!」とけしかけた。キラは渋々、といった調子で立つ。

 

会話をずっと聞いていたロイドが、沈んだ顔をしているキラの背をポンとたたいて、励ました。

「花嫁さんが、暗い顔をしていると、みんなが心配するよ」

「ロイド、あたし」

「うん?」

「母さんにも、幸せになって欲しいの。そう考えるのは、ダメなことなのかなあ?」

「……ダメではないと思うよ?」

ロイドは優しく言った。

「でも、恋人同士にならなくても、昔の友情が結ばれたっていうのは、いいことじゃない?」

「……」

キラは納得いかない顔をしていたが、その話を続けることは、しなかった。

 

 

 

さて、ルナとミシェルだったが、ゴリラの発見には至らなかった。ルナが一瞬、ゴリラだと思って駆け寄った厳つい男の後ろ姿は、あろうことか自分の彼氏で、アズラエルをゴリラと間違えたルナはさんざんにミシェルに笑われた。

結婚式が始まる直前まで、ミシェルとゴリラ探しをしたかったが、ギリギリに到着したレイチェルにつかまったルナは、それ以上ウロウロできなくなった。

「ルナ。わかんないよ。結婚式途中で、バーン! って現れるかもしれないし」

結婚式の最中に、間男が花嫁を浚いに来るのは、そのテの話では王道である。

「結婚式はじまるまえは来ないって。……あたし、さっき控室でこっそりキラに、それとなく聞いてみたんだけどさ……」

ミシェルはそう言って、こそこそとルナに耳打ちした。猫とウサギがふたりで仲良く内緒話をしているのを、金髪のライオンが、俺も仲間に入れてよとばかりにそわそわとチラ見しているのに、猫は気づかない。

「ええっ? ゴリラっぽい男、いるの!?」

ルナが叫んだのに、ミシェルがしーっと人差し指を立てた。

「ゴリラって言うかね、キラが付き合ってた男で、サルっぽい顔の奴はいたらしいよ。身長176センチだって。そこそこでかくない?」

「でかい。もしかして、そいつがゴリラかな?」

「うーん。分かんないけど、ゴリラの可能性は高いよね?」

 

「まだゴリラの話してやがんのか」

丸テーブルの、ルナの向かい席にいるアズラエルがうんざり顔で言った。

「誰が来るってンだよ。キラを浚いに? バカらしい」

「うるさいんだ! アズは! あごひげのくせに!」

ルナの暴言にクラウドが噴き出した。ルナは、「イカレ」と「野郎」の部分はすっかり忘れていた。覚えていたのは「顎鬚」だけである。アズラエルにはたしかに顎鬚がある。ただの事実確認に過ぎない。だがアズラエルは先のグレンの暴言を忘れてはいなかった。アズラエルの顔が、悪党面にシフトしていく。

「ルゥてめえ、意味わかって言ってンのか? 誰がイカレてるって?」

 

 アズラエルが凄んだとたんに、会場の照明が落とされて、結婚式でおなじみの音楽が流れだした。

 「ルゥ、この話はあとだ」

 キラとロイドが、エルウィンとともに、会場内に入ってくる。

 「よし! この話は後だ!」

 ルナが受けて立ってしまったので、アズラエルにデコピンをされた。とても痛かった。思わず額を押さえて涙目になるほど。

 

 「綺麗だわ……キラちゃん」

 ルナたちのテーブルの左隣が、メアリーたちの席で、メアリーはハンカチを目元に当てていたし、右隣から啜り上げる音が聞こえたので何かと思ったらすでにリサが号泣しているのだった。レイチェルもシナモンも、「キラ、綺麗だよ〜!」と感動の涙を流している。

 ルナもうるっと来たのだが、口をうさぎにして耐えた。感動に打ちひしがれているヒマはない。ルナは、ゴリラの侵入を阻止せねばならないのだ。

 

 ルナに、素直に感動している余裕はなくとも、結婚式は進んだ。ロイドとキラの指輪交換のあとが一番危ない。そのテのまんがやドラマでは、いざ、ふたりが永遠の愛を誓う瞬間に、男は現れるのだ。「永遠の愛を誓いますか」という言葉にロイドもキラも頷き、ロイドからキラへの軽いキス、そして指輪交換――無事に、済んだ。

 ルナの警戒もむなしく、ゴリラは現れないし、ミシェルも誓いのキスのあたりには泣いていたというのに、ルナは泣けなかった。どうも、緊張しすぎて感動が二の次になってしまったようだ。

 そうこうしている間にも結婚式は進み、ふつうの結婚披露宴にありがちなスピーチが全くない分、一気に無礼講のパーティーへとなだれ込んだ。

 レイチェルやシナモン、リサがすぐさま立って、キラたちのほうへ向かった。ルナはキラたちが入場してきた大扉のほうを向いたが、誰かが入ってくる様子はない。

 

 「ルゥ、ゴリラは来ねえよ」

 自身のグラスにワインを注ぎながら、アズラエルが呆れ声でルナを諭した。ルナは最大にこわい顔をして睨んでやったが、華麗にスルーされた。

「ルナ、キラのトコ行こうよ」ミシェルに突つかれ、ルナもしぶしぶ、腰を上げた。アズラエルとはあとでおおげんかだ。これで決まった。