「うわあ〜っ!! 素敵!!」

 

 ルナとミシェルの歓声は、頭の中身が仕事モードに入っていた男二人の表情筋を緩ませるのにはじゅうぶんだった。

ルナとミシェルには秘密の厳戒態勢であるから、なるべく普通を装おうとしていたアズラエルとクラウドだったが、普段から一緒にいるルナたちには、様子がおかしいのはどうしたって見抜かれてしまうわけで。けれど、アズラエルは普段から仏頂面だし、クラウドは、例のゴリラを探してくれているのだとルナが勘違いしたおかげで、ふたりの不自然に怖い雰囲気は相殺された。

 だがマルカに降りてからは、ルナとミシェルは彼氏のことなど眼中になくはしゃぎ出したので、男二人はほっとした。

 

 水の惑星、マルカ。

 地球行き宇宙船から移動用の小型宇宙船に乗船し、マルカへ。スペース・ステーション構内を出るとそこは一面、水の世界だった。

 野球場ほどもあるドームの半球体上面はすべて透明のガラス張りで、そのむこうを生きた魚が泳いでいる。まさしく、ここは海の中だ。

「見て見て! ミシェル、魚がこっち向いてる!」

「ほんとだ!」

黄金色に輝く、縦長に平べったい魚が、ガラスの向こうからルナたちのほうを見てひらひらと鰭を揺らしていた。ルナとミシェルはつんつん、と魚の口あたりを突く。すると魚はすうっと青の向こうへ泳いで行った。

海は透明度が高く、サンゴ礁や色とりどりの魚の姿も、ずいぶん遠くまではっきりと見える。

「ずっとここにいたい……マジ綺麗……」

ルナとミシェルが見惚れて、ガラスに張りついてしまったので、男二人は苦笑しあったが、急かすことはなかった。時間には余裕を持って出てきたからだ。

 

大勢のひとが行きかう中、「観光、ナサイマスカ?」と機械音声が聞こえたのでルナが振り返ると、球形のマシンが傍らに待機していた。二人乗りの座席シートを備え付けた、移動式マシンだ。L系惑星群の言語とマルカの言語と思しき言葉で、“ペッシェ・ヴォランテ”と車体には書かれている。

 「観光はまたあとで。レストラン・ポルバッカに行けるかい」

 クラウドがマシンに告げると、「承知シマシタ。レストラン・ポルバッカ。ストリートB358764。三十分後、十一時三十二分到着予定デス」と返ってきた。

 「乗ろう」

 クラウドに促され、クラウドとミシェルがそのマシンに、アズラエルとルナが、うしろに待機している、おなじ移動用マシンに乗った。アズラエルがパスカードを機械の上に置くと、「E.C.Pアース・シップ・MJH号船客、アズラエル・E・ベッカーサマ、毎度、ゴ利用アリガトウゴザイマス」と音声が流れ、料金表示はゼロを表示した。リリザの入星パスカードも地球行き宇宙船持ちだったが、マルカにおいてのサービスは、リリザ以上だ。

 「このパスカード、使い放題かよ」

 「すごいね」

 「食事もホテル代も、このパスカードがあれば、一定の金額までは無料だ。停泊期間は一週間だからってなァ。サービスしすぎじゃねえか」

 リリザの停泊期間が延びたために、マルカの停泊期間が短縮されたらしい。本来なら、マルカの停泊期間は二週間だったそうだ。

 

 「出発イタシマス。シートベルトヲ装着シテクダサイ」

 シートベルトは自動的にシートから出てきて、ルナとアズラエルの腰と胸元をベルトでガードした。マシンは人ごみを縫うように、すうっと動き出した。宙に浮いて、泳ぐように人の波をかき分けていくさまは、まるで魚だ。

 振動は少ないが、ゆらゆらと遊園地の遊具のように揺れが激しいので、「こりゃ、酔う奴もいるかもしれねえな」とアズラエルは笑った。一応隣のルナを確かめたが、ルナはきゃっきゃとはしゃいでいたので、心配の必要はなさそうだった。

 「B通路ニ入リマス」

 ドーム型の施設から、八方向に伸びた回廊の、左から二番目の入り口に、マシンは入って行った。ガラス張りの回廊を、悠々と泳いでいく。「B通路、進行中」マシンが喋った。通路は、自動車が三台、並列に走れるくらいの広さだ。ジェットコースターのように通路は上向きで、わきに歩道と思われる階段はあったが、ひとがここを上っていくには相当の労力がいりそうだった。マシンに乗って正解だ。Gがかかってルナとアズラエルの背は、ぺたりとシートの背に押さえつけられた。

 

 「すごいアズ! でっかいおさかな!!」

 「あれは魚っていうより、鮫だな」

 大きな鮫が大口を開けてルナたちのほうを向いていた。マシンは、一瞬で鮫の前を過ぎたために、ルナが身をすくめただけで終わった。ルナは振り返ったが、鮫の後姿が見えただけだった。

 「B通路、3地区ニ入リマス」

 「あっ! アズ、海の上へ出る!!」

 ルナの声で上を見上げたアズラエルは、マシンのフロントガラス越しに、水面の揺れと水面に入ってくる光を見た。それも一瞬のことで、すぐに水面は視界の下になった。水上へ出たのだ。

 「はわあ……!」

 ふたたびのルナの歓声。さっきのドーム状の施設より一回り小さい場所に入り、また人の波をマシンは泳いでいく。水上は、晴れていた。ドームの外には、ルナたちがさっき通ってきたような透明の通路が、高速道路の環状線のように幾重にも張り巡らされている。ルナたちは水中から上がってきたが、逆に水中に入っていく通路もある。

 「ルート5ニ入リマス。ソノ先右折」

 前方に、クラウドとミシェルが乗っているマシンが見えてきた。ミシェルが手を振っているので、ルナも振り返した。

 

 「オ客様、ゴ気分ハ悪クゴザイマセンカ?」

 いきなりマシンが言い、ダストシュートがぱかっと開いて、中にエチケット袋が入っていた。酔うやつは、間違いなくいるだろう。ルナはケラケラと笑い、アズラエルが片眉をあげて「大丈夫だ」というと、ダストシュートはまたガシャン! と乱暴な音を立てて閉まった。

 それにしても、ずいぶんと道が入り組んでいる。

 「アズ、あたし、自力でもとの場所に帰れる気がしないよ」

 「心配するな。俺もだ」

 アズラエルは、このマシンで酔ってしまって、目的地までたどり着けない場合はどうするんだとなんとなく思ったので、「これ以外に、乗り物ってねえのかな……」と呟いた。

 すると、マシンが反応した。

 「“ペッシェ・ヴォランテ”以外ノ乗リ物ハ“バレーナ”と“スクアーロ”ガアリマス。スクアーロハコチラデス」

 パッと画面が表示され、小型バスのような乗り物が、3Dで表れた。バスにしては四角くはなく、どちらかというと鮫の形に似ている気がする――と思ったら、実物が横を通り過ぎて行った。やはりバスの大きさだった。ルナとアズラエルが乗っているペッシェ同様、タイヤや車輪の類はなく、宙を飛んでいる。修学旅行なのか、制服を着た子供の集団がなかで騒いでいた。

 

 「スクアーロハ比較的揺レモ少ナク、車内ニGガカカリマセンノデ、オ子様モオ年寄リノ方ニモ安心シテゴ乗車イタダケマス。シカシ各駅停車シマスノデ、目的地マデノオ時間ヲ短縮シタイ方ハペッシェヲドウゾ」

 ペッシェはこれか、とアズラエルは車体を叩いた。「じゃあ、バレーナってのは?」

 「バレーナハ大型客船デス。オモニ、水上ヲ走リマス」

 クジラと名のついた船は、巨大客船だった。どちらにしろ、最初の施設は水中で、水上を走る巨大客船の乗り場はなかった。スクアーロか、このペッシェしか、レストランまで行く手段はないのだろう。3Dの画像を見、アズラエルが「……ペッシェでいいか」と嘆息すると、「ゴ乗車、アリガトウゴザイマス」とかえってきた。ルナはまたケタケタ笑った。何でも笑いたい年頃なのだろう。どちらにしろ、元気が出たのはいいことだ。

 「左折ノチ、右折シマス。到着マデ、アト十五分デス」

 ペッシェが泳ぐ通路は、また水中ふかく潜って行った。

 

 ずいぶんと深く降りていく通路はやがてガラス張りではなくなり、普通のトンネルになった。そのトンネルを五分ほど走っただろうか、

「ストリートB358764、到着シマシタ。レストラン・パルボッカマデ三分」 

ペッシェの音声と同時に、トンネルを抜けて街へ入った。ルナの、何度目か分からない歓声。レンガ造りの賑やかな街並みが、そこにはあった。地上と何ら変わりのない風景だ。だが驚くのは、空が海であるところ。かなり上空を、雲ではなく魚が流れ、泳いでいた。