八十九話 再会 Y



 

 いきなり滑り出した道路――そしてチョコレート色のうさぎ。

 そうだ。あれは。

 あの子は、最初からいた。最初からいたじゃないか。

 うさぎ・コンペにはいなかった。けれどルナは、知っていた。

アズラエルのマンションの、エントランスにいた受付の青年。

あのキョウカイのある港町へ――鉄製の扉を開けて来る前に、導いてくれたこども。

 ルナをずっと導いてきた、あの褐色の肌の子ども。

 青年の姿でいたこともあったし、少年の姿だったこともあった。

 何度も見ていたはずなのに、何回も、何回も見ていたはずなのに、ルナははじめて彼の顔をはっきりと思い出した。

 

 アズラエルに、似ている。

 

ルナは一気に霧の中に包まれ、足場をなくして浮遊し――そして急に足場を得て、かくんと尻もちをついた。

 

ここはどこだ。

ルナは林の中にいた。――遠くに観覧車が見える。これはいつも見る、夜の遊園地の夢か。周囲の風景は暗く、ざわざわと揺れる林の一本道に、ルナはうさぎの姿で佇んでいた。ルナは観覧車のほうへ行こうと、一目散に駆けだした。ここはひと気もないし、風にざわめく木々が怖かった。

 

 「待ちな」

 周りを見ずに、足元だけを見つめて走っていたルナは、急に目前を遮った巨木にぶち当たって尻もちをついた。ルナはびっくりして巨木を見上げ――絶叫、したと思う。

 ルナがぶつかったのは木ではなかった。木よりも大きな、真っ黒なヘビだったのである。

 

 「おうおう、悪ィな。怯えさせるつもりはなかったんだよ子うさぎちゃん」

 真っ黒いヘビは、ちろちろと赤い舌を出して笑った。ルナのめのまえで薄ら笑う黒ヘビの頭は、軽自動車ほどもある。その巨大なヘビの隣には、真っ白に輝く龍――おそらく龍だろう――がいた。真っ黒なヘビと同じくらいの大きさで、見かけは似ていたが、龍髭と、角がある。そして、白龍の隣には灰色の龍がいた。龍たちは、真っ黒なヘビよりはずいぶん、年を取っているように見えた。

 

 「俺はただ、あんたに伝えたいことがあっただけさ」

 黒ヘビは言った。

 「椋鳥のボタンは、俺が取りかえして、元の場所に戻しといたよ」

 「椋鳥の……ボタン?」

 「ああ。あんたが俺の親友に会ったら、伝えといてくれ」

 黒ヘビは、ずいぶん下にいるルナうさぎのほうへ首を伸ばして会話をしていたのだが、それだけ言うと、また首は上のほうへ戻った。

 「へへ……親友が俺に会いに来たその時は、」

 黒ヘビは奇妙な笑い声を発した。風鳴りのような笑い声だった。ざわざわと林が揺れた。

 「俺が龍になるときだ。ブラック・ドラゴンだぜ、カッケーだろ」

 

 

 

 「へび!」

 ルナは飛び起きて叫んだ。

 「へびだー!」

 「……」

 アズラエルはちらりと目をやり、それから長い腕を伸ばしてルナの頭をぺし! と叩いた。

 「うるせえぞ、ルゥ」

 「へびでした……」

 それだけ言ってルナは真後ろに倒れ込んで寝た。アズラエルは瞬く間に寝息を立てはじめたルナのアホ面をながめ、「俺って、マジ我慢強ェよなあ……」と自画自賛したのだった。誰も誉めてくれないので。

 

 

 「ねえ、あのまっくろなへびは、“華麗なる青大将”かな?」

 ルナは、よほどその名前が印象深かったらしい。サルディオネと通信しながら、そう尋ねたが、サルディオネはあっさり首を振った。ルナうさがっかり。

 「華麗なる青大将は、青大将だよ。黒というよりは、くすんだ緑色。それに、そんなに大きくないと思う。たぶん、そのヘビはべつのヘビだね」

 「そのヘビが、椋鳥のボタンを取りかえしたって?」

 言ったのはクラウドだ。クラウドとミシェルは、昨日家に帰ってきた。ルナがサルディオネに夢の報告をするというので、ひさしぶりに四人の朝食がてら――クラウドもルナとサルディオネの報告会に参加したのだった。クラウドも、情報を共有したいから。

 

 「うん。そうゆってた。元の場所に戻しといたって」

 「元の場所、ねえ。――アンジェ、その黒ヘビと、二体の龍の名は分からない? ZOOカードはどうなってる?」

 「……呼び出してるんだが、応答がない。たぶん、姿を隠してるな」

 「そうか」

 クラウドはぶつぶつと何か言いながら部屋をうろつきだし、アズラエルが差し出したエスプレッソを無言で受け取った。

 

 「あのねアンジェ、」 

 ルナは栗色の小さな頭を抱え、唸った。

 「あたし、そのへびの夢を見るまえに、もういっこ夢を見てるような気がするんだけど、思い出せないの」

 あれは、夢だったのだろうか。夢というか、記憶というか、ひどく朧げで、なにかをみたことは覚えているのだが、まったく内容が思い出せない。

 そんなルナの様子を画面越しに見たサルディオネは、苦笑して言った。

 「いいんだよ、ルナ。なんでもかんでも覚えていなくて。ルナが覚えていないってことは、ただの雑夢だったのかも知れない。ほら、トイレに行きたいときに、トイレ探してアタフタする夢を見るとかさ」

 「あー、あたしもそういう夢なら結構見るわ」

 ミシェルが、旅行先でもらってきたパンフレットをちら見しながら話に加わる。

 「そういう夢、だったのかな……?」

 なんだか、ひどく気になるのだが、思い出せないものは仕方がない。ルナは諦めることにした。今日の夢も、ちゃんと日記帳には書いてあることだし。だが、ルナの夢を微に入り細をうがち、個人的見解と称してまとめたクラウドの資料をみせてもらったときには、ルナは脱帽した。自分はもう書かなくてもいいんじゃないかとちょっと思ったくらいだ。

 サルディオネが役所に行かなければというので、夢の報告会は終了した。クラウドはリビングを行ったり来たりしながら、今度は皆に聞こえる声でひとりごとを始めた。

 

 「ルナちゃんが夢で出会った、白い龍ってのは、もしかしたら白龍グループのクォンじゃないかな」

 「え?」

 ルナの問いかけに、クラウドは宙を見たまままともに返答しなかった。なにか深く考え込んでいるようだ。

 「年寄りの龍二体――白い龍と灰色の龍。たぶん、クォンとメフラー親父じゃないか。組み合わせから考えてさ――その黒ヘビは、おそらくヤマトのボスだ」

 アズラエルは眉を上げただけに留まった。

 「そういやメフラー親父は、灰色好きだな」

 「そうなの?」

 「ああ。灰色のシャツばっか着てるよ。会社で着てるつなぎも、灰色だ」

 「アズ、――ヤマトのボスって、見たことある?」

 クラウドの質問に対する、アズラエルの答えはノーだった。

 「バカ。見たことあるわけねえだろ。ヤマトのボスの正体を知ったやつは、全員消されてる」

 「うわ、こっわ……」

 ミシェルがわざとらしく身震いした。クラウドが頷く。

 「まあ、そうだよね。そういう噂だもんね……」

 

 自分がかつていた心理作戦部に、そのヤマトのボスがいるなんて――あの情報分析科のアイゼンが、ヤマトのボスだなんて――さすがのクラウドも思い及ばないことだった。

 

 「だ、だれも、ヤマトのボスのこと、知らないの?」

 ルナの質問に、アズラエルとクラウドは目を合わせ、クラウドが先に口を開いた。

 「傭兵グループ、ヤマトは、ニンジャの末裔なんだ」

 「え!? ウソ! ニンジャ!? カッコイイ!!」

 さっきの身震いはどこへやら、ミシェルが喜ぶ。クラウドはそんないいものじゃないよ、と言いたいのか首を振った。

 「ヤマトは、基本的にボスを頭領、と呼ぶ。黒づくめの特殊な衣装を着た傭兵たちで、統制がとれていて、おそろしく秘密主義なんだ。本アジトも、メフラー親父と白龍グループのボスくらいしか知らないだろう。基本的にアジトと呼ばれる、外部との連絡を取る場所も、民家や飲食店に紛れてて、探すのが困難だ。ほかの傭兵グループと違って、一般人からの依頼は受けないね。たいてい軍部かマフィア――」

 「受けてんだかなァ。どっから仕事請け負ってンのか、何やって稼いでんのか、わかりゃしねえよ。不気味な奴らだ」