「うわあ! かわいい〜!!」

 シナモンが、ぎこちない手つきでエレナの腕から赤ちゃんを受け取った。

 「可愛い? まだサルみてーな顔じゃねえか」

 遠慮のないアズラエルの後頭部を、ルナがぺけっと叩いた。アズラエルはさほど痛くもない後頭部を摩りながら、一様にデレデレしている、溶け切った野郎どもの顔を眺めなければならなかった。アズラエルの暴言は、誰の耳にも届いていない。みんな、エレナの赤ちゃんに夢中だからだ。

 グレンにセルゲイにカレン――ルーイなど言うまでもない、彼が一番ヤニ下がっていた。

 

 「あ、泣いちゃう、泣いちゃう!」

 赤ん坊がぐずりかけたので、慌てたシナモンに、グレンセルゲイカレンルーイと八本の腕が差し出された。さすがのシナモンもちょっと引いた。

 「まったく、しょうがない奴らだね!」

 エレナは、グレンの腕に赤ん坊が渡るまえに自身の手で掻っ攫った。

 「なんだよ、俺にも抱かせてくれよエレナ」

 「あんた、みんながくるまでずっとあやしてたじゃないか」

 「そうだよ! 次あたしの番だろ!」

 カレンのふくれっ面。ルナはもちろん、みんな呆気にとられていた。赤ちゃんが愛されているのはとてもいいことだったが、グレン、そしてカレンとルーイの間で、赤ちゃん争奪戦が行われている。

 「もう、引っ切り無しに交代で抱くもんだから、まともに寝かせられやしないんだよ」

 呆れた声で言うエレナだったが、すっかり母親の顔だ。とても、幸せそうだった。

 

 エレナは一週間前に、ぶじ可愛い男の子を出産していた。今日は、エレナの赤ちゃんを皆で見に来たのである。そこでルナたちは、ルーイそっくりのエレナの赤ちゃんに驚いたのと同時に、気持ち悪いくらい赤ん坊にデレデレしている四人の男たちに遭遇したのだった。

 グレンがデレレンとした顔で、まるで自分の子であるかのように赤ん坊を抱いてキスしまくっている姿を見たアズラエルは、一瞬帰ろうと思ったくらいだ。あの泣く子も黙るコワモテ顔が、ルナ以外に緩むのをはじめて見た。ルーイやカレンならまだしも、セルゲイもグレンも満面の笑顔で赤ん坊を構っているのだから、脅威である。

 ルーイはエレナ出産から今日までの出来事を、聞きもしないうちから熱く語った。それはそれは熱く。まるで自分が産んだかのような臨場感あふれる語りっぷりだった。

エレナが嫌がったので、立会出産は実現しなかったらしい。ルーイは立ち会う気満々で、その日の仕事もキャンセルして朝から準備万端だったのだが。彼らがエレナの赤ちゃんに初対面したのは、ガラス越しにだ。新生児室に、生まれたばかりの赤ちゃんがたくさん並んでいる中、エレナの赤ちゃんを見た自称父親四人は、「うちの子が一番かわいい!」とさっそく親ばかぶりを発揮した。

 それにしても、エレナの子はものの見事に金髪で、まるでルーイの子のようだった。ルーイは「毎日俺似のこども生まれて来いって念じ続けたおかげだ」とひとりでガッツポーズを決めていた。

 

 「ほんとに、ルーイみたいだね」

 ルナのセリフに、カレンが苦い顔をする。

 「あたしだって金髪なのにさ」

 だれもあたしに似てるっていわない……とカレンはブツブツ言っている。

 「まあカレンも金髪だけどな。だけど赤ん坊のくせに、この髪の多さ見ろよ! コイツはルーイ似だ。きっと将来、爆発するようになるぜ」

 グレンのセリフに、またしてもルーイの鼻の下が三センチ伸びた。

 「やっぱ、俺に似てるよなあ」

 

 「女の子ならわかるけど、男の子だろ。なめるよーな可愛がりようじゃねーか」

 ジルベールの呆れ声にエレナが同意した。

 「本当だよね……」

 女の子を男親が可愛がる話なら良く聞くが。男親たちの緩みきった顔は、当分しまらないだろう。

 

 「名前は決まったの?」

 部屋に入ってから、挨拶もそこそこに皆が赤ん坊に集中してしまい、やっと腰を落ち着けたころ、エドワードが尋ねた。そういうエドワードの妻レイチェルも、九月出産予定である。今日は赤ん坊を見に来たがっていたが、病院の予定が入っていたので来れなかった。

 

「まだ決まってないんだ」ルーイが困ったように言う。「みんな譲らなくてさ」

 グレンもカレンも、そしてジュリも名付け親になりたくて、皆が皆譲れない名前があるらしい。

 「いつまでも決まらなくて困るよ」

 「本当だな――って、そういや、ジュリは?」

 「今日は学校。……あのね」

 そこで、少しエレナの表情が翳った。

「ジュリがいないときにみんなを呼んだのは、訳があるんだ」

 セルゲイとカレンが、皆に紅茶を配りおえた後、おもむろにエレナが口を開いた。

 

 「あたしね、――あたしとルーイだけど。宇宙船を降りることになったんだ」

 

 「ええ!?」

 ルナはもちろん――アズラエルとクラウド以外は、みな素直に驚きを表した。エレナは、ルナと一緒にぜったいに地球まで行くと、バーベキューパーティーのときに約束したのに。何かあったのだろうか。

 

 「このあいだ」

エレナが黙ってしまったので、ルーイが引き継ぐように説明した。

「俺の親父とおふくろに、この子を見せたくてさ。ひさしぶりに電話したんだよ。……俺の子じゃないんだけどっていうのもそのとき話して。エレナのことは、だいぶまえに話してたんだけどな。母さんとおんなじ名前で、同じL44出身の子と出会ったことは。それで、その子と俺は、結婚したいと思ってるって」

エレナが、何とも言い難い顔で、照れ笑いのルーイの顔を見た。

「おふくろも親父も、俺が結婚したい相手だったらいいって。エレナと話して、互いに打ち解けてさ。この子のことも、孫ができたってすごく喜んでくれたんだ。で、エレナの出産もぶじ済んだし、結婚したいって言ったら、祝福してくれたんだ。けど、……」

 「だけど?」

 クラウドが促した。

「親父がちょっと席を外したすきに、おふくろが言ったんだ。親父、――ちょっとまえから身体を悪くしてるらしくて」

ルーイの表情もわずかに翳った。

「今すぐ死ぬとか、あと半月とか、告知されたわけじゃないから、俺には連絡しなかったんだって。心配かけたくないって」

具体的な病名はルーイは言わなかったが、軽い症状ではないらしい。

「母さんも、戻ってこいとは言わなかったんだけど――でも、俺が思ったんだ。ふたりが元気なうちに、コイツを抱かせてやりたくって。だからエレナに俺、お願いしたんだ」

ルーイが、赤ん坊の頬を突つく。その顔は、耳まで真っ赤だった。

「俺と結婚して、L52に来てくれないかって」

 

「それであたし、ルーイのプロポーズ、受けることにしたんだ」

俯いたままそう言ってからエレナは、こちらもまた照れ隠しのように、顔を真っ赤にして叫んだ。

「べ、べつに、ルーイのことがスキとかじゃなくって、だよ! あたしとおんなじ名前のルーイのお母さんが、あたしゃ大好きになっちまったからで……! その、電話したときに気が合いそうだって思ってさ……、だ、だからべつにルーイが好きだからとか、そんなんじゃないからねっ!」

エレナのツンデレは健在らしい。エレナの背後で、グレンとカレンがニヤニヤ笑っている。

エレナは、目いっぱい興奮して叫んでから、今度はルナに向かって申し訳なさそうに頭を下げた。

「ごめんよルナ。約束したのに……一緒に地球に行けなくて」

「う、ううん……」

ルナは首を振ったが、元気に、というわけにはいかなかった。エレナと一緒に地球の海を見れなくなること――それに、彼女が宇宙船を降りてしまうというのは、寂しいことだ。でも、ルーイの父親が、身体を悪くしているというなら、一刻も早く子供を見せたい気持ちもわかる。今宇宙船を降りたところで、L系惑星群に着くのは何ヶ月も先だ。気も急くことだろう。

 

「まあ――今すぐってわけじゃなくて、この子の首が座るまで、宇宙船にいようと思ってるんだけど、たぶん、今年中には宇宙船を降りることになると思う」

ルーイがそう言って締めくくった。

 

「ようするに――そのことを、まだジュリには言ってないんだな」

そこが本題らしい。クラウドの言葉に、エレナたちは困ったように顔を見合わせて頷いた。

「そうなんだ。……あたし、悩んだけど、ジュリは連れて行かないことにした」

 「ど、どうして?」

 ルナの問いに、エレナが苦笑する。

 「あたしも悩んだよ――ルーイも、それからルーイのお父さんたちも、ジュリを連れてきてもいいと言ってくれたよ。……でも、違う。あたしはジュリを連れて行くべきじゃない」