「ううん。――でもね、」

 ルナは、アズラエルの常識では測りきれないことを言うことがある。

 「こういうの、なんていうんだっけ? デジャヴュ? あたしぜったい、いつだったかここに、来たことがある」

 「……」

 「この大道路をね、そう、こっちへ曲がって――」

 「……」

 「ガソリンスタンドが、あるはずなの」

 そうしてね、道は突き当たりなの。工事をしてたはず。

 ルナは言った。アズラエルはルナの指示通り左へ曲がり、――その先は、ルナの言うとおり、工事現場だった。海に面した工事現場。波に削られた個所を修復しているらしい。カアン、カアン、という音が聞こえてくる。

 

 「――あった」

 

 ガソリンスタンドがあった。ウソでしょ、と呟くルナは、あれだけ確信に満ちた言い方をしながら、自分の記憶を半分以上疑っていたらしい。スタンド入り口にはロープが掛けられ、壁も一部崩落して寂れている。閉店して長いことが伺える。

 

 アズラエルはガソリンスタンドまえに車を停めた。ここは道の突き当たりで、ほかに車がくる気配もない。なんでこんなところにガソリンスタンドがあるのか、アズラエルは疑問だった。こんな道のどん詰まりに作ったところで、だれにも気づいてもらえやしない。せめて街の入り口に作ればいいものを。潰れるのはあたりまえだった。

 だがこの宇宙船内の店舗は、ニックのコンビニ然り、到底やっていけないと思える経営状態でも、やっている。E.C.P公営の店ばかりなのだろう。ニックのコンビニも、あの位置に一ヶ所でも、トイレと飲食物が置いてある場所があれば便利だから、あるのだ。ほとんど営利目的はないといっていい。あのコンビニは電気自動車やガソリン車の補給システムも整っているし、あの駐車場の広さは、ヘリコプターが離陸できる広さだ。この宇宙船内でヘリコプターはまだ見たことがないが、ニックのコンビニはそういう利便性がある。

 アズラエルはだから、地球行き宇宙船に乗ってからはじめて、潰れて、しかも潰れたまま放置された店舗を見た。この宇宙船ならば、こういう店舗は、景観を損ねる、などの理由ですぐ更地にされそうな感じがするのに。

 この、どんづまりの道路もそうだ。道路がガソリンスタンドをゴールにぶっつり切れていて、目の前はすぐ海。波に打たれて崩れるのか、補修工事中ではあるが。この道をどこに繋げようとしたのか、アズラエルは想像すらできなかった。

 この街は――どうも、具体的には言えないが、ほかの街に比べて奇妙なつくりだ。アズラエルはそう思った。

 

 「ここに、アズがいたの」

 アズラエルが考え込んでいるうちに、ルナは車から飛び出し、ガソリンスタンドの敷地内へ入って行った。

 「俺が?」

 「うんそう。アズが」

 ほかの人間が言うことなら、相手にしていない。ルナの言うことだからアズラエルは、聞いた。

 「いつ?」

 ルナはちょっと困ったようにアズラエルを振り返り、「……いつ。いつなんだろう……あれって、いつの、記憶なのかな……」と呟いた。

 立ち止まったあとルナはきょろきょろあたりを見回し、ガソリンスタンドの側面の、小さな小道へ入って行った。アズラエルは車のエンジンを止め、ロックしてルナのあとを追った。

 

 ルナは、大きな八階建てのマンションの前に佇んでいた。住宅街の中に、急にそびえたつ高級マンション。ほんとうにここは、不思議なつくりの街だ。

アズラエルが聞く前に、ルナは言った。

 「ここにアズ、住んでた」

 「俺がか」

 「うん」

 ルナが迷うように、回転扉のマンション内を覗き込む。なかはホテルのようにフロントがある。セキュリティが完備されている高級マンションだ。

 

 「あ」

 ルナの声に、アズラエルも気づいた。向かいから、見覚えのある人物が歩いてくる。マンションの回転扉を開けて出てきた人物も、ルナたちの姿を見て「あ」と口を開けた。

 「お久しぶりですねえ! ルナさんに、アズラエルさん」

 相手はそういって、深々と六十度のお辞儀。ルナも慌ててお辞儀をした。

「バーベキューパーティーのときは、お世話になりました」

 「タケルじゃねえか」

 アズラエルと握手をする――タケルは、セルゲイとカレンの担当役員で、メリッサの夫である。バーベキューパーティーにも来ていたので、ルナとアズラエルも面識があった。

 ずいぶん慌てているのか、スーツはよれかかっていたし、メガネもななめに傾いている。

 「相変わらず忙しそうだな」

 アズラエルの苦笑に、タケルは破顔した。

 「いえいえ。お二方は観光ですか? ずいぶん穴場に来ましたね」

 「穴場?」

 「だってここは、遊園地もあるけどやってないですし。水族館や海水浴場があるのは、ここに来る大道路じゃなくて、もう一本あっちですよ」

 「ああ、知ってる。知ってんだが、あの区役所か、あのあたりから見る海の景色が良くてな。それをルナに見せたくて連れて来たんだ」

 「そうだったんですね」

 タケルは納得したように頷いた。

 「そっちに戻るなら、区役所のうしろに灯台見えたでしょう。あそこ上って海を眺めるのもいいですよ」

 「へえ。行ってみるか、ルゥ」

 「うん!」

 「あの……もしよかったら」

 タケルが、申し訳なさそうに頭を掻きかき、言った。

 「区役所まで、乗せていってくれませんか? タクシーを呼んだんですが、ここまでくるのに二十分かかるみたいで……」

 「構わねえよ。乗んな」

 アズラエルは気安く承知した。

 

 実際、区役所のある石畳の広場まで十五分とかかりはしない。なのにタクシーが来るのは二十分もかかるという。この街にはタクシー会社がないらしく、さっきタケルが言った、もう一本外側の大道路――水族館や海水浴場がある観光地――のほうから来るのだそうだ。

 「なんでこっち側、こんなに寂れてんだ?」

 アズラエルは聞いたが、それに返ってきたのはルナの質問だった。

 「アズはなんで、ここにきたの?」

 アズラエルがタケルにした質問と、ルナの質問はほぼ同時に為されたため、仕方なくアズラエルが先に言った。

 「……宇宙船に乗ったばかりのころな、海が見たくてこっちに来たんだよ」

 海水浴場に行くつもりが、道を一本間違えてこっちに入ってしまった。だが、意外と穴場で、ここから見る海の景色はなかなか良かった。だから、ルナを連れて来ようとしたのだと。

 「アズでも、道を間違えることがあるんだね」

 「目的もなしに、適当にドライブしてただけだからな。……で、こっち側、なんでこんなに寂れてんだ?」

 アズラエルはタケルに聞いた。後部座席のタケルは「う〜ん……」と唸り、「なんででしょうね?」と困った笑みを見せた。

 「まあ、このあたりは居住区だからっていうこともあるでしょうね。K19はこどもが中心の居住区ですから。だから昼間はいないんですよ、人が」

 「子供中心?」

 「そう。学校がね、観光地化されたあっち側の道路にあるんです。だから昼間は、この辺誰もいないんですよ」

 ルナがパンフレットを取り出して見ると、K19はこどもの乗船者が住む区画になっている。何らかの理由で親をなくした子供たちや、孤児院出のこどもたち。保護者がおらず、子供二人だけで乗船した場合、住む区画と記されている。

 「じゃあ、あの遊園地もガキのために作られたってことか」

 「そうらしいです。でも僕が役員になったころにはもう、運営はしてませんでしたよ」

 ここに住む子供たちは、遊園地に遊びに行くような子は滅多にいませんから、と意味深にも聞こえるセリフを最後に、区役所に着いた。「ありがとうございました!」タケルは礼を言ってすぐに降り、区役所へ駆けて行った。よほど急いでいたらしい。

 

 「じゃあ、ルゥ。俺たちも灯台に上ってみるか」

 「うん!」

 ルナが先に飛び出した。アズラエルも降り、車をロックして灯台へ向かう。ルナは一度振り向いて、海を眺めた。

 (宇宙船の中に海があるって、ほんとにすごいなあ……)

 でも、ほんとうに、あたしはいつこの景色を見たんだろう?

 ルナがぼうっと、水平線に見惚れていたそのとき。

 

 「うきゃっ!」

 なにかがぶつかってきて、身体がよろめいた。――ものすごい勢いで、だれかに体当たりされたのだ。ルナは、こどもの後姿を見た。そして気づいた。そのこどもが――褐色の肌のこどもが、ルナのバッグを持っていることに。

 

 「こっ……こらーっ!!」

 ひったくられた。気づいた時には遅かった。ルナはすぐ追いかけたつもりなのだが、その子供は驚くほど足が速い。遊園地のほうへ、ものすごいスピードで走っていく。

 追いつけない。ルナはうさぎの代名詞をもつくせに人一倍足が遅く、そのこどもは、運動会では間違いなく一位を取れるくらい足が速かった。

 「ま、待ってーっ! 待ちなさいこらあ!」

 あっというまに子供の姿を見失い、先にルナの息が続かなくなって、足がもつれて転んだ。「いたっ!」

 

 どうしよう――バッグ、取られちゃった。

 

 財布もカードも、あのなかに入っているのだ。アズラエルは灯台に行ってしまって、気づいていないだろう。役所に言った方が早いかもしれない。涙目でスカートについた砂ぼこりを払っていると、ルナのほうまで聞こえるくらい、盛大なゲンコツの音がした。ついで、背の高いシルエットがジタバタ暴れるこどもの襟首を引っ掴んで、こちらへやってくるのが見えた。

 「アズ!」

 「すばしっこい野郎だ」

 アズラエルがルナにバッグを放り投げたので、ルナは慌ててバッグを受け止めた。アズラエルが捕まえてくれたのか。こどもはアズラエルに襟首を引っ掴まれていても、がむしゃらに暴れて抵抗している。

 「離しやがれコノヤロー!!」

 「うるせえぞクソガキ。船内でのスリはご法度だ。役所に突き出してやる」

 

 ルナは、目を見張った。子供の、行儀の悪さにではない。改めて真正面から見たら、その子供が、びっくりするぐらいアズラエルに似ていたからだ。

 アズラエルより肌の色は濃い。茶褐色の肌、こげ茶の髪に、目の色も同じ。

 まるでアズラエルのミニチュアだ。

 

 ――椿の宿の夢で見た、アズラエルの子供のころに、そっくり。

 

 「チクショー! 離せよ馬鹿力! 俺はピエトだ! ピエト様だぞ! 俺の名を知らねえとは言わせねえぞ! 今なら大目に見てやるから、下ろしやがれチクショー!」