タケルは、二人を見送るつもりなのか、席は立ってもカフェを出ていくことはしなかった。アズラエルはもう少しこの場にいて、おそらく傷ついたであろうルナのフォローをするつもりだったが、仕方なく立った。

 

 「ルゥ、帰るぞ」

 「――うん」

 案の定、うさぎの萎れっぷりときたらなかった。ただでさえ、このあいだからルナの様子はおかしい。気づけばひとりで塞ぎこんでいる。「自分は何もできない」とか、「自分はお荷物」だとか、そういったことをうだうだ考えて落ち込んでいることは間違いなかったが、アズラエルはルナが何か言ってくるまで放っておこうと決めていた。

 

 タケルの言葉は正解だとアズラエルは思っている。むしろ、タケルが、ルナの言葉に感謝し、ほいほい「お願いします」と言っていたなら、タケルの神経を疑っていたところだ。

 タケルはルナを信頼できない――アズラエルだって、そうだ。二十歳を多少超えたばかりの、苦労知らずの子どもに、子どもを任せるなんて、アズラエルだってできやしない。

 それにピエトは普通の子どもではない。地球人に敵意を持つラグバダ族であり、厄介な病まで抱えている。タケルははっきりと言った。K19区のこどもは、理由が分からないとはいえ、なぜか八割がた死んでしまうのだと。

 ということは、タケルは、必死でピエトの生を繋ぎとめようとしていながらも、どこかでピエトの死を――予期している。

 アズラエルはそれを口に出す気はなかったが、タケルの迷いも見て取れた。

 ピエトと関わると言うことは、いずれ、彼の死と向き合わねばならない。ルナに、ピエトの死と向き合う覚悟があるのか、タケルは言外にそう告げている。

問題ばかり抱え込んだ子どもを、一時の同情で引き取れるものではないことは、ルナにだって分かっているはずだ。

 なのに、衝動でそんなことを言いだした、その背景もアズラエルは承知している。

ルナは、何かしようと必死なのだ。自分に何かできないか、人の役に立つことをと、このあいだから塞ぎこむほど悩んでいる。

 ルナの悩みは杞憂や、取り越し苦労といってもいい類のものだ。少なくとも、ルナの周りは誰もルナをお荷物には思っていないし、ルナが何もできないとは思っていない。

 アズラエルは、嘆息したい気持ちだった。

 (くだらねえ)

 ルナは、普通のL77の船客だ。「ルナさんには、普通の船客として、宇宙船旅行を楽しんでいただきたいのです」と言ったカザマの言葉が、今になってまざまざと蘇る。自分もカザマに同感だ。心底同感だ。

 ルナはルナで、いいのだ。誰かを助けたりとか、役に立ったりなどしなくていいのだ。いつものボケうさぎでいて、アズラエルの癒しになっていてくれればそれでいい。

アズラエルとしては簡単だ。

 ルナが最終的にぐだぐだになって追い詰められて泣きついて来たら、もちろん掻っ攫って誰の邪魔も入らない場所で、ルナが余計なことを考える隙間もないほどメタメタに可愛がるつもりではある。

 

 ルナは泣きそうな顔で俯いたまま、のろのろと立った。アズラエルも、そんなルナの小さな手を引いて、カフェを出、病院の敷地内へ出た。アズラエルが手元のキーで車のロックを外すと――逆にキーがロックされた。手元の鍵の、ランプが点滅している。

 「あ、しまった。車の鍵、閉め忘れてた」

 どうやら、車のロックを忘れて病院に入ったようだ。解除したつもりが、今頃ロックされてしまった。

 「だいじょうぶですよ。この宇宙船内で車上荒らしはないです」

 タケルが言うのに、「どうかな。ピエトとかいうガキみてえなのがもう一匹いねえとは限らねえだろ」とアズラエルが返し、タケルを苦笑いさせた。

 

 アズラエルはもう一度車の鍵を解除し、ぼーっとしているルナを促して助手席に乗せた。運転席の窓ガラスを開け、タケルに「じゃあ、またな」と言うとタケルも、「ありがとうございました、アズラエルさん、ルナさん、ではまた」と会釈した。ルナも、小さく笑い返したが、その表情に元気はまったくなかった。

 車を発進させ、夕焼け模様の海を眺めながら帰路に着く。ルナは海を眺めたまま、何も言わなかった。

 

 「ルゥ」

 「うん?」

 「元気出せよ」

 「……うん」

 

 元気出せよと言って、元気が出るものならルナもここまで落ち込みはしないだろうが――。

 

 ルナが悩むのも、ヒマすぎるからだ。この宇宙船はヒマすぎて、余計なことを考える時間が多すぎる。アズラエルも、クラウドもそうだ。だからクラウドは、わずかでもルナに救われていることになるだろう。対メルヴァの工作で、クラウドの頭脳は働き場を得ている。ほら、クラウドの役に立ってるじゃねえか。

 アズラエルも、ルナの幸福に一番憂慮すべき点――メルヴァの始末に、いよいよ本腰を入れるつもりでいる。すでにクラウドはカザマからの要請で、対メルヴァの工作部隊に作戦要員として組み込まれている。アズラエルも――そして、グレンとセルゲイもだ。

 もしメルヴァが見つかったなら――アズラエル自身は地球に行けなくても、L系惑星群にもどって、メルヴァを逮捕する――あるいは抹殺する。かならず。

 そうしなければ、ルナの未来がない。

 

 「ルゥ、予定が狂ったが、水族館にでも行くか」

 「ううん……おうち帰る」

 「そうか。しょうがねえな」

 

 アズラエルは、水族館など特に行きたい場所ではない。ルナが行かないと言えば、帰っても構わない。そのまま帰路についても、自宅に着いたのはすっかり真っ暗になった時間だった。夕食くらい、どこかで取ってくれば良かったとアズラエルは思ったが、どうも中途半端な時間だ。アズラエルが駐車場に車を停め、ぼーっとしたままのルナを抱き上げて車から降り、後ろ手で車のロックを掛けたとき――それは、起こった。

 ガタガタガタっと、車のトランクが動いた――いや、なにかが、中で動いている。

 

「アズ、なにかいる!」

「……何かいるな」

 

怯えるルナを下ろし、アズラエルは「離れてろ」と言ってトランクのロックを解除した。慎重に近づき――トランクを、開けた。

 

 「へっへっへ! 地球人て、ホント鈍いんだなっ!!」

 

 飛び出してきた子どもに、アズラエルは目を剥き、ルナはこれでもかというくらいウサ耳をピーン! とさせて飛び退った。

 

 「てっめ……!」

 「ピエトくん!?」