「ええ――はい。――分かりました。申し訳ありません。お手数をおかけします。では、明日――」

 タケルは、会話を終えて携帯電話の通話を切った。相手はアズラエルだ。

 「……で? やっぱり、ルナちゃんがご飯食べさせるって?」

 アントニオの呑気な声に、タケルは苦笑した。

 「だ、そうです。ルナさんが、夕ご飯を食べさせてくださるそうです。それで、今夜はルナさんたちの家に泊めていただいて、明日、むかえに行きます」

 「ピエト君が、帰りたくないっていったらどうするの?」

 「そうですね……」

 タケルは、このいつもきっちりとしている彼にしては、どこかぼうっとしているようだった。

「……アズラエルさん次第ですかね」

 「アズラエル次第?」

 「アズラエルさんが置いてくださると言うなら、私は、――彼らにすこしばかりお預けしてみようと思います。でも、アズラエルさんは迷惑でしょうね。だから、私は明日、ピエト君の襟首を引っ掴んだアズラエルさんが、ピエト君をこちらに放り投げて寄越すのを予想しています」

 「アズラエルらしいなあ」

 「アズラエルさんの反応が普通だと思いますよ。ふつうは、死ぬかもしれないこどもを、構いたいなんて思うはずがない」

 「……でも君は、ルナちゃんに預けてみようと思った」

 アントニオの言葉に、タケルは戸惑い顔を見せ、言った。

「無論、担当役員としての責務は果たします。毎日様子を伺って――、」

 「うん、いや、俺は、君が無責任なことをするとはこれっぽっちも思ってないよ」

 

ピエトが、アズラエルの車のトランクに潜り込んで、ルナたちの家までついてきてしまった。アズラエルが車のロックを忘れていたのも珍しかったが――アズラエルの車は、港で見ていただろうが、でもまさか、病院の駐車場に停められた数ある車のひとつをピエトが見つけ、トランクに忍び込んだなんてことは、アズラエルもルナも、タケルも予想できるわけはなく。アズラエルは無論激怒したが、ルナになだめられて仕方なく、今夜泊めることにしたと喧々囂々の勢いで、タケルに電話してきたのだった。

タケルは、ピエトに代わってもらい、彼が元気そうなのを確かめた。今日、投薬治療も受けたことだし、無茶をしたり必要以上に興奮したりしなければ、だいじょうぶだろう。ピエトにはちゃんと七時間以上の睡眠をとらせるように、薬をちゃんと飲ませるようにアズラエルにお願いして、タケルは電話を切った。

 

タケルが今いる場所は、リズンである。いよいよ、ピエトとルナが接触してしまった――そのことを、タケルはアントニオに知らせに来たのであった。

タケルには、ルナが「L03の高等予言師の予言に記された人物」だということは知らされている。

 

「やはり私が、いくら引き離そうとしても、運命の相手というものは、めぐり合ってしまうものなんですね」

タケルがいささか、消沈気味に言った。アントニオは、じゃがいもの皮を剥きながら、タケルの言葉に耳を傾ける。

「ルナさんに、私はきつい言葉を掛けました。ルナさんは傷ついたでしょう。でも、ルナさんはもっと傷つくんじゃないかと思うんです。この先、ピエト君の死に、触れてしまったら」

「……」

「このままピエト君と仲良くなって、愛情が湧いて、そして唐突に別れが来る。耐えられるでしょうか、ルナさんに。ほんとうに、ルナさんが、“K19区の役員になるという予言”を受けてこの宇宙船に乗ったのなら――」

「……」

「ピエト君の死に触れることは、ルナさんの道を、閉ざしてしまうことになりはしないでしょうか。K19の役員になどなりたくはないと、逆に思わせてしまうのではと、私は思うんです」

タケルのつぶやきに、アントニオはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

 

「うん、まあ、あのね……ルナちゃんが“L03の高等予言師の予言に記された人物”だっていうのはね、彼女の前世の一つが、“メルーヴァ”だからなんだよ」

 

「――え?」

タケルは、コーヒーを口に運ぼうとしたのを、止めた。

「メルーヴァ、ですって?」

 

「うん。さすがにタケル君は、L03の担当役員もしてたことがあるから、分かるね。ルナちゃんの前世のひとつは、千年前、はじめて生まれた“メルーヴァ”なんだ」

「ちょ――あの――それは、」

「うん。機密事項。ここだけの内緒ね」

アントニオが人差し指を立てるのに、タケルはごくりと喉を鳴らした。

 

「千年前のメルーヴァの魂がルナちゃんの中にあるから、ルナちゃんが司る星のひとつに“革命”がある。ルナちゃんに触れたものは“愛”“癒し”“縁”“革命”のいずれかを授かる。そのうちの“革命”っていうのは、文字通りのL03とかで起こっている革命とは違うよ。その人の概念や性格そのものに革命を起こす。……たとえばナターシャちゃんとかね。君も見たはずだ」

 

タケルは、バーベキューパーティーでの事件を思い出す。不良の子どもたちが、パーティーを引っ掻き回した事件だ。ナターシャという子がその後、責任を取らされて宇宙船を降ろされた話はメリッサから聞いていた。ナターシャはもともと極度に引っ込み思案な子で、ルナと出会ってから変わったのだということも。あの事件の、一連のエピソードは聞かされていた。タケルもあの場にいたことはいたが、すべての出席者のことを知っているわけではなかった。

 

「……なるほど。分かりました。それで彼女が、K19区に“革命”を起こすと、そう言われているんですね」

「そう。ルナちゃんが、K19区の役員になったときに、K19区の子どもたちの生存率が急激に高くなる――つまり、誰も死ななくなる――と言われているのは、そういうことなんだ」

「そうだったのか――」

タケルは、ようやくコーヒーを口に運ぶことができた。

 

ルナは、「L03の高等予言師の予言に記された人物」。

 

それは、特派と、K19区の役員の一部が知っている極秘事項だ。

ルナがK19区の役員になったとき、はじめてK19区のこどもたちは死ななくなる。タケルは、そう知らされていた。ルナが、この宇宙船に乗ったときから――。

タケルは、ルナと出会うのはきっと、彼女がK19区の役員になったときではないかと思っていた。まさか、ルナが自分の担当船客の友人であり、思い人であり、役員も交えたバーベキューパーティーという、意外な場所で会うとは、思いもよらずにいた。

そのとき、アントニオに告げられたのだ。

『ルナちゃんが、ピエト君と出会ったら、俺に教えて』と。

まさか、こんな展開になるとは思いもしなかった。ルナとピエトが出会い、ルナがピエトの面倒をみたいと言い出すなんて。

 

「だからってね、ルナちゃんはなにも完璧な人間ではないし、今は、メルーヴァでもない」

アントニオは、するすると器用に皮を剥きながら、独り言のように呟いた。タケルは物思いにふけっていたのを、アントニオの声に呼び戻された。

 

「普通の、女の子なんだ」

ウチに来て、チョコパフェ食べたり、友達と遊びに行く計画を立ててはしゃぐ、ふつうの女の子、とアントニオは言った。

「ルナちゃんがメルーヴァのときだって、ロメリアのときだって、ずっとすごい人間だったわけじゃないさ。どちらかというと、迷いがちな、繊細な子であったっていうのは間違いない。俺は傍で、それを見て来たからね――今世も、ルナちゃんはルナちゃんで、自分の人生を歩んで、今度はルナちゃんとしてのいろんな選択をして、考えて、悩んで、成長していく。それを見守るっていうのも、俺たち先輩の役目じゃない?」

「……先輩」

「そう。タケル君は、宇宙船役員としても、年齢的にもルナちゃんの先輩でしょ」

「そう、ですね……」

「今ルナちゃんは、葛藤のなかにいると思うよ」

「葛藤、ですか」

「そ。自分が何ができるかできないとか、自分の無力さとか、そういうの抱え込んで苦しんでる」

「……」

「でもルナちゃんは、何百回もそういうのを繰り返してきたんだから、今度もちゃんとうまくいく。――だから、だいじょうぶ」

 

アントニオの言葉に、タケルは肩のこわばりが解けた気がして、公園に流れる川のせせらぎを聞きながら、窓の外の夜景に目を向けた。