「すまない――あの、僕がうかつだった」 アイリーンは、絞るように言葉を発した。 「僕は、君と仲良くなりたいだけだ。その、――君が傭兵だということは、僕にとっては親近感を覚えこそすれ――忌避すべきことがらじゃない。君がエルドリウスの妻ということも、傭兵だったということも、秘密にしておいた方がいいとは思うが」 「えっ?」 アイリーンの予想通り、フライヤからは疑問符が飛び出た。 「僕は、貴族階級の軍人だが――出自は農家の出だよ――つまり、一般市民。傭兵と同じく、差別される側の人間だ。話せば長くなるから今は言わないけど、僕は貴族軍人の家であるオデット家に養子に入ったんだ。だから僕も、純粋な貴族軍人じゃない。だからその――君を差別したりなんか、しない」 アイリーンもまた、もうすこしうまく言えないものかと自分の言葉のまずさに後悔していた。部下に指示するときは、もっと理路整然とした言葉が出てくるのに、肝心なときにうまく言葉を選べないなんて。 でも、伝わっただろうか。自分がフライヤを脅かすつもりではないということは――。 「あっ……! ぼ、僕は言いふらしたりなどしないぞ? そんなに口は軽くない」 心理作戦部隊長であるアイリーンの口が軽いなど、誰が思うだろう。フライヤの怯えた表情がわずかでも消えたことに、アイリーンは安堵した。アイリーンの、固く強張っていた表情が、安堵に緩んだことに、フライヤもまた、肩の力が抜けた。 「あ、あのう……」 「う、うん。……なに?」 アイリーンは、表情も声もやさしく見えるよう、かつてないほどの努力をした。 「チーズケーキ、あの、ものすごく美味しいです……」 フライヤもやっと、自分が食べているチーズケーキの大層な美味しさに気付くことができた。 「あの、私、今朝すごくチーズが食べたくて、クロック・ムッシュなんか作って食べて……」 「う、うん」 「そうしたら、おやつはチーズケーキなんて、嬉しいです……。チーズケーキなんて、ずいぶん久しぶりに食べました」 恐ろしくぎこちない会話だったが、やっと二人の間に、交流という名の空気が生まれ始めた。 「そ、そうか! そうか! よ、よかった……! の、残りのケーキは持って帰ってくれ」 「え!? そ、そんな、悪いです……!」 「い、いいんだよ。君に食べてもらいたくて買ってきたんだから……!」 「え、でも、こんなにたくさん……だったら半分こしませんか!?」 「僕はチーズケーキしか食べないんだ」 わずかな押し問答ののち、ケーキの箱はフライヤの膝に乗せられた。 「それでその――ちょっとお願いが――」 フライヤは、アイリーンがエルドリウスに逢わせてくれと言ってくるのかなと思っていたが、アイリーンの台詞は、フライヤの予想を大きく外れるものだった。 「もしよかったら――明日も、この時間に来てくれないかな?」 フライヤは、予想外の言葉に返事が遅れた。 「嫌じゃなかったら――僕と、また明日この時間に、お茶を一緒に……。しょ、庶務部はヒマだと聞いたし、仕事をさぼれと言っているんじゃないけど、あ、いや! 君が嫌じゃなかったらでいいんだ。今度は別のケーキを用意しておくし、あ、そうだ、ちゃ、ちゃんと経理書類も毎日渡す!」 アイリーンは慌てて、経理書類の封筒を引き出しから出して、フライヤに渡した。 「僕と、ともだちに、なってほしい」 「と、ともだち!?」 「これは僕のわがままだ。なにひとつ強要なんかじゃない――だ、ダメだろうか?」 断りの返事をすでに予想しているかのようなアイリーンの表情に、フライヤは、ようやく気付いた。ほんとうにようやくだ。 この人――もしかしたら。 (すごく、あたしに似ているのかもしれない) それを口に出す勇気はまだなかったが、フライヤは、やはり小さく「あの」と前置きし、 「じゃ、じゃあ――私、明日、紅茶を持ってきます!」 そう言ったら、アイリーンの恐ろしげな顔が、これ以上もなく輝いたので、フライヤは自分の考えが当たらずとも遠からずだと悟ったのだった。 フライヤが自宅に着いたのは、予定の四時より、すこし遅れた時刻だった。大急ぎで帰ったのだが、アイリーンとの会話が思いのほか弾んでしまい、気づいたら四時ギリギリだったのだ。エルドリウスはすでに到着していて、私服のシャツとスラックス姿で、両腕を広げてフライヤを迎えてくれた。 「マイハニー! 久しぶりだね。私に会いたいと思ってくれて嬉しいよ!」 「ふぐっ!!」 玄関扉を開けた途端にがばっと抱きしめられて、フライヤはマヌケな悲鳴をあげた。アイリーンからもらったケーキの箱ごとでなくて、ほんとうによかった。 「私を待たせるなんてね。君はやはり私の妻に相応しいね」 「す、すみません……お待たせして!」 危うく平伏しそうになったフライヤを止めたのは、急に顔をしかめたエルドリウスの文句だった。 「きのう、エルドリウスって呼んでくれたのは私の幻聴?」 「へっ!? あ、あ……いやあの、エ、エルドリウスお帰りなさい! ちが、エルドリウスさんおかえりなさ、あ、エルドリウスさんただいま……!」 「すまなかった、少し落ち着こうか」 エルドリウスはフライヤの腰を抱いたまま、くるりとリビングのほうへ身体を向けた。そこでフライヤの視線を釘付けにしたのは――まるでツリーのごとく積み上げられた、プレゼントの山。 紙袋や、包装紙で包まれた、箱の山。 「あの――エルドリウス――これは――」 「おみやげだよ? 決まってるじゃないか」 にっこり笑ってフライヤの頬にキスをするエルドリウスの顔に、悪気という文字はない。リビングが、三十個を超える箱やつつみで足の踏み場もないほど埋め尽くされていたのだとしても。 フライヤの予想外の行動をとるのは、アイリーンだけではない、ここにももう一人いたのを、フライヤは思い出した。
「毎日君のことを考えて、帰るときのことばかり考えて、プレゼントを選んでいたら、こんな数になってしまったということさ」 フライヤは途方に暮れつつも、エルドリウスの気持ちを無駄にしないよう、片っ端から包みを開け始めた。 紅茶の缶に、紅茶のクッキーばかり詰め込まれた缶、ドレスにアクセサリー、大きなぬいぐるみもあった。小説の最新刊にオペラのチケット、映画のチケット(公開日はもう終了していた)、フライヤは知らないが、現代アーティストの作品であろう絵画。妙に大きいなと思って開けた箱には、なんと、クリスマス・ツリーが入っていたのだった。 「エ、エルドリウス、クリスマスはまだ早いんじゃあ……」 「そうだね。今年のクリスマスは君と過ごせると思って興奮していたら、そんなものまで買ってしまったというわけだ」 クリスマスは半年も先である。エルドリウスは自身でも呆れた様子だったが、すぐにいつもの調子に戻った。 「エルドリウス――ほんとに、もう、プレゼントはいいの」 フライヤは、どこに着ていくかも分からない派手なドレスを見ながら、言った。でも、プレゼントはいらない、という単純な言葉がエルドリウスに通じる筈はないことは、フライヤはもはや身を持って知っている。エルドリウスが、その達者な口を開くまえに、フライヤは告げた。 「まったくいらない、というわけではなくて、特別な日には欲しいかな? 誕生日とか――クリスマスとか。いつもこんなに貰ったら、特別な日のありがたみがなくなっちゃいます……」 「君は、私を納得させるやり方を、覚えてきたみたいだね」 エルドリウスは肩を竦め、 「仕方ない。プレゼントは控えよう。だが、どうしても君に似合うと思った靴や服は、買ってきても構わないね。そのくらいは許してくれ」 リビングが埋まらない程度なら、と言いかけたフライヤは、キッチンからずいぶんいい匂いがしてくることに気付いた。 「夕食の支度なら、できているよ」 エルドリウスがウィンクした。 |