「ルナ、カフェ・モカってやつ買って来たぜ」

 

 ルナはピエトの声で目が覚めたようにはっとした。見れば、ピエトが湯気の立つ紙カップをテーブルに置いている。ルナはあれからリズンのカフェテラスの椅子に座り、ぼうっとしていたのだった。

 タケルの言った意味を考えていたのだが、考えたところで何もわからず、堂々巡りになっていた思考だ。

 「ご、ごめんね。ぼーっとしてた」

 ルナは立ち上がり、ピエトが代わりに買ってきてくれたテイクアウトのカフェ・モカを左手に、右手はピエトと繋いで、「じゃ、かえろっか」と言った。

 「なあルナ、アイツは? 傭兵は?」

 「傭兵じゃないの。アズラエル、でしょ」

 

 アズラエルは、石油王のところへ顔をだし、そのままジムへ行って帰りはラガーに寄ってくるから夕飯はいらない、とルナに告げていなくなっていた。ひとりでジムに行ってラガーというコースは、アズラエルがなにか考え事があるときの定番コースなのだ。アズラエルも、ひとりで落ち着いて考えてみたいのかもしれないとルナは思った。

 

 「今夜帰ってくるよ。アズはお仕事と、ジムと、ラガーに行くんだって」

 「ラガー? ラガーってなに?」

 「えっとね、バーって言えばいいのかな? 大人の人たちが、お酒飲むお店だよ」

 「ルナは行かねえの」

 「そうだなあ、あたしは、ラガーはちょっと怖いかなあ。アズもラガーは危ないから、一緒には連れていけないってゆうし、」

 「じゃあ、ルナはいっしょに行ったことねえのか!?」

 「うん。昼間ならあるけどね」

 「バッカだな! それぜったい浮気してるぞ!!」

 「へ?」

 ルナがマヌケな声を上げて歩みを止めると、ピエトが真剣な顔で怒鳴った。

 「ルナはほんとにボケッとしてるよな! 傭兵が浮気しねえはず、ねえだろうが! ルナに来るなって言うのも、浮気してるからなんだぜ! 俺、そういうのいっぱい見てきたもん!」

 ピエトは、ぶちまけるようにして喋った。ピエトの故郷では、浮気で女房に頭の上がらない男たちは、星の数ほどいたらしい。箒を持った女房に追いかけられる浮気性の亭主の姿は、日常茶飯事というやつだ。スラム化していたピエトのコミュニティーでは、こどもの教育上よくないという常識は常識ではないから、居酒屋も食堂も一緒くたな場所にピエトはふつうに出入りしていた。つまり、居酒屋で堂々と浮気をする男たちや、原住民の商売女とイチャつく傭兵も腐るほど見てきた。

 

 「傭兵は居酒屋にいくと酒より先にかならず「女!」っていうんだぜ。あいつだってそうだ」

 「……えーっと」

 

 ルナが最初に連想したのは、ピエトのいう、居酒屋で真っ先に「女!」と要求する傭兵――の姿をアズラエルに置き換えてみることだった。実にしっくりきた。このあいだのアズラエルの話では、L85に任務に行ったこともあるようだし、きっと現地の居酒屋では、入った途端に「女!」と言っている気がした。アズラエルのことだから。

 ルナは、久しぶりにアズラエルの浮気について真剣に考えてみたが――浮気の可能性は無きにしも非ず、のような気がするが――とりあえず今日は、浮気しないだろうとは思っている。

 勘でしかないのだが。

 今までも、エッチのない日が二週間続けば浮気するぞとカウントダウンをされたことはあるが、アズラエルがルナと付き合ってからだれかと浮気した――という事実は今のところない。第一、アズラエルが浮気していたら、真っ先にクラウドが気付くはずだ。

 

 「たぶん、ね、……アズは、浮気は、しないとおもう……」

 ピエトはすかさず、その小さな頭を思い切り振った。

 「ルナは、のんきすぎるぜ! あいつはぜったい浮気してるっ!!」

 この確信力はどこから来るのだろうか――ルナは困った顔をしつつ、

 「う〜ん、……とにかく帰ろうか、ピエト。カフェ・モカ冷めちゃうし、お昼も食べないと。午後からおでかけしたいところもあるし」

 「ルナ、ルナはあいつが浮気しても平気なの」

 「平気じゃないけど――うん。たぶんアズは浮気しないよ」

 ピエトの言いたいことも分かるが、アズラエルは、浮気はしない。少なくとも今は。ルナが本当に二週間以上も間を空けたら――浮気されてしまうかもしれないが――少なくとも、今日はその心配はない。ちゃんと三日前にえっちはしてある。

 おそらくアズラエルは、ひとりになって、気持ちの整理がしたいだけなのだ。

だがそれをピエトが納得するように、大人向けな内容を省いて説明するには、たいそう骨が折れる作業のような気がした。

 

 「うん。だいじょうぶ!」

 ルナのきっぱりとした宣言にも、ピエトは、納得いかない顔をしていたが。

 「お昼はスパゲティ食べよう! カルボナーラだよっ」

 ルナが元気よく言うと、ピエトの興味は食べ物のほうに移った。よほどオムライスが美味しかったのか、ピエトは今朝も何を食べさせてもらえるのか興味津々で、ルナがキッチンで作るものを見ていた。

 「かるぼなーら? すぱげてぃってなに?」

 「食べてからのお楽しみ♪」

 小さな子ウサギ二匹は、スキップしながら家路についたのだった。

 

 

 

 「じゃあ行ってくるね」

 「本当に大丈夫? ルナちゃん。俺が運転しようか?」

 クラウドが心配そうに言った。ルナは、アズラエルの車の運転席にいる。助手席にはピエトが。宇宙船に乗って以来ペーパードライバーなルナだが、これでもアズラエルの車を二三回、運転させてもらっている。アパートの周囲をぐるっと回る程度だが。

クラウドは不安そうだったが、アズラエルはちょっとためらいながらも、ルナが車を使うことを了承してくれた。ちなみにアズラエルは、酒を呑んで帰るため、今日はタクシーを使ってでかけた。

 「だいじょうぶだよ! ゆっくり行くし、高速は使わないって、アズと約束したし」

 「そう? まあ……気を付けてね」

 

クラウドとミシェルと、ピエトと四人でお昼ご飯を食べた後、ルナは意気揚々と自動車の運転席に座していた。助手席にピエトを乗っけて。不安を隠し切れない顔をしたクラウドと、置いて行かれて不満そうなミシェルを見送りに立てて、ルナはピエトとおでかけするところだった。

 

「……で、どこに行くんだっけ?」

ミシェルの台詞に、ルナはドアガラス近くまで顔を近づけて、

「中央区。……ピエトの弟のピピ君のお墓参りに行こうと思って。あと、帰りにピエトのアパートから荷物を持ってくるの」

遅くなるかもしれないから、ごはんはふたりで食べてねとルナが言うと、ああ、とクラウドが頷いて、それからふと気づいたように言った。

「それって中央区の共同墓地?」

「うん。マリアンヌさんのお墓参りも一緒にしてこようと思っ――」

「それなら俺たちも一緒に行く。ミシェル、俺たちも出かけよう。ちょっと待っててルナちゃん」

「え? ええ?」

焦ったのはルナだった。「やった! バッグ持ってくるね!」一緒に出掛けられると喜び勇んで、バッグを取りに戻ったのはミシェル。クラウドも財布を持って戻ってくると、運転席のルナに、後部座席へ行くよう促した。

「え? あの、でも、あたし、運転――」

「俺が運転するよ。――ルナちゃんも行く場所、もっと早く教えてくれたらいいのに。でもこれで安心した。俺が運転できるし」

「あたし、運転、」

クラウドは黙って運転席のドアを開け、ルナのシートベルトを勝手に外し、後部座席のドアを開けてルナをすみやかに移動させた。荷物のように運ばれたルナが、何か言う隙はなかった。

 

――ぷっくり膨れたうさぎと、上機嫌の猫を後部座席に、ピエトを助手席に乗せて、クラウドの運転する車は出発した。L18の男性は、どうあっても運転席を譲りたくはないらしい。まさか、運転するチャンスを、クラウドにまで取られるとは思わなかったルナだった。