次の行先はK19区だ。ピエトの荷物を取って来なければならない。クラウドは中央区からそのままWEST RORDに入り、K10区を経てK19区へ入った。ピエトの居住区はK19区の端、海が見える地区だ。途中から、アズラエルと一緒にきたときと同じ道に入る。ということは、埠頭に出る場所も同じだろう。右手に閉館した遊園地、正面に、見覚えのあるガードレールが見えてきた。

 「潮の匂いがするね」

 ミシェルが窓を全開にしていった。

ミシェルもクラウドもK19区に来るのは初めてだ。あのとき同様、ほとんど車が通っていない道路を走り、ピエトと出会った場所――役所のある、モダンなガードレールがある埠頭に着くと、みな歓声を上げた。主にミシェルが。

 「うっわあ! 海だ!」

 すっかり夕刻を過ぎていて、暗くなる寸前だった。灯台に灯りがついてい、ガードレールのところにある、等間隔の街灯もすでに点燈している。クラウドはピエトのアパートへ行くために右手に曲がったところで、車を停めた。

 「すこし、海を見て行かない?」

 反対する人間はいなかった。ルナもミシェルも海辺は好きだったし、ピエトも山育ちだったが、この大海原を見渡せる光景は気に入っていた。

四人はいちど、車の外に出ることにした。

「いい眺めだね」

すこし強い潮風にあおられながら、クラウドはガードレールの向こうを眺めた。波のうえに灯台と街灯の光が漂い、キラキラとルナの目を楽しませた。

 

 「夜の海っていうのもいいね」

 「うん」

 ガードレールに二人よりそうミシェルとクラウドがいい雰囲気なので、ルナは邪魔をしないようにこっそりとピエトの手を引き、このあいだ来たときに見つけた、小さなコーヒースタンドを目指した。遊園地の向こう、木陰に隠れるようにしてそこはあり、まだ閉店していないことを示すランプがついていた。

ルナはそこでピエトにホットミルクを、ミシェルにカフェ・モカを買い、クラウドは砂糖入りのコーヒー、自分の分はジンジャー・ミルクティーを買った。ホットドッグのメニューもあったが、そろそろいい時間だ。おそらくどこかのレストランへ入るだろう。

狭苦しい店内に納まっているのは、赤いトレーナーとつば付きのキャップを被った、人懐こそうなおじいさんである。

 

「あのう」

「なにかな」

「隣の遊園地って、ずっとやってないんですか」

おじいさんはちょっと首を傾げ、

「そうだなあ。わしがここに店を構えた時分には、もうやってなかったなあ」

「そうですか……」

「でも中は、立派な遊具がそろってるよ。潮でだいぶ錆びついてるがね。ちゃんと整備すればきっと運営できると思うんだがねえ。ああ、砂糖とミルクも付けておくかね」

「ありがとう」

世間話を交わしているあいだにも、みるみる日が落ち、暗くなってきたので、ルナはおじいさんにお礼を言って、ピエトを呼んだ。遊園地のまえで石を蹴って遊んでいたピエトに、ミルクを渡した。ピエトのミルクに、余分にもらった砂糖をいれてやる。ピエトははじめて飲むホットミルクを、最初は不審げに眺めていたが、一口飲むと、「うめえ!」とその頬を火照らせた。

 

ルナは、すこし奥まった遊園地の入り口まで足を延ばし、電燈すらついていない門を眺めた。おじいさんが言ったとおり、鉄製の扉も、受付であろう建物の外壁も潮で錆びついていて、奥は暗い。不気味な感じさえする。ルナは暗がりで目を凝らしてみたが、奥の遊具は見えなかった。

あきらめて戻ろうとしたときに、入り口扉のプレートに、人の名前が刻んであるのが見えた。

 

「ルーシー・L・ウィルキンソン 寄贈」

 

この遊園地を作ったひとの名だろうか。

ルナはその名前に一瞬どきりとしたが、覚えのない名だ。覚えはない――懐かしいような、どこかで聞いたことのあるような名のような気がするのだが、思い出せなかった。

 

(アズラエルと、何を話したのだっけ)

 

椿の宿を、旅行を続けるために出て――それからルナたちは大ゲンカをした。

(何が原因で? アズラエルの嫉妬? でも、何を話したっけ)

何を話したか覚えていない。そうそう――すこし車の中で眠って、K08区のコテージに泊まって、それから、ピザを食べて――ニュースがやっていて、メルヴァの仲間が捕まったという――。

 

「なにしてんだ、ルナ」

ルナはピエトの声に呼び戻された。

「この遊園地はやってねえよ。さっき爺さんが言ってたじゃんか」

いつのまにかピエトがそばまで来て、ルナを見上げていた。

「もどろうぜ、ルナ。ここ、お化けが出るって噂なんだぜ」

「そんなこと、どこで聞いたの」

「学校」

ピエトは早くここから離れたいようだった。たしかに雰囲気は不気味だが、ルナはどうしても、この遊園地が気になるのだった。だがすでに日は落ち、中はまるで見えなかったし、入り口も鎖がかかっていて入れない。ルナは仕方なく、ピエトに手を引かれてその場を後にした。

 

 ゆっくり歩いて戻ると、「もう! どこ行ってたのよルナ!」とミシェルが駆けてくる。

 「もっといい雰囲気でいてよかったのに」

 ルナが言うと、珍しくクラウドも不満を零さず言った。腕時計を見ながら。

 「いや、そろそろ行こう。これでご飯食べて帰ったら、深夜近くなっちゃうかもしれない。――あ、コーヒー? ありがと」

 喉乾いてたんだよね、とクラウドは遠慮なくコーヒーを受け取った。おとなだけだったら深夜を過ぎても平気だが、ピエトがいるのだから、なるべく早く帰りたい。

夜風が冷たくなってきたので、ピエトが風邪をひいては大変と、あわてて車内へ詰め込んだ。L85の野生のヒナは、ルナよりよほど丈夫だろうが、なにせピエトは病気持ちなのだ。

 

 無事ピエトの荷物を持って、アパートを後にする。アパートの解約は、タケルが済ませておいてくれるらしい。

服が数着に、ピピの思い出の品以外は、ピエトがいつも持ち歩いている肩掛けカバンにぜんぶ入っているらしく、荷物というほどの荷物ではなかった。

面倒があったことといえばひとつだけ。帰り際K19区のレストランで食事をする際にピエトが、「俺はレストランで飯は食わない! ルナの作ったものしか食わない!」とだいぶゴネた。

ピエトは母星の育て親に、地球人がつくった食べ物には体の毒になるものがいっぱい入っているから、レストランでは食べるな、と諭されて育ってきた。体の毒になるものって食品添加物のことかなとルナは思っていたが、その言葉の大本は、ラグバダ族の地球人に対する抵抗が主な理由であったろう。地球人の作った食べ物など食べてたまるかという、ある意味意地だ。ピエトはその教えのために、ルナに出会ってオムライスを口にするまでは、イモを自分で蒸して食べる以外は、ほかの食べ物を口にしていなかったのである。

クラウドの説得は、じつに懇切丁寧で、くどかった。でもルナとミシェルは、クラウドの説明の大部分――食品添加物がうんぬんと、料理の製造過程の説明は、いらないとおもった。ピエトも分かっていなかったし、ピエトが折れた決定打は、ミシェルの、「ここにもオムライスとカルボナーラ、あるよ」のひとことと、ルナの「じゃあ、おイモさんがはいってる料理を選ぼうか!」である。ルナの料理にも食品添加物は入っているんだとコンコンと言い聞かせ説きつづけたクラウドの努力だけは、ふたりは認める。

 

 ピエトは渋々、レストランに入ってオムライスつきのお子様ランチ――ゼラチンジャーのマスコットつき――を食べた。ずいぶん夢中になって食べていたので、てっきり「美味しい!」のひとことが出てくるのを期待していた大人三人は、子どもというものがそう素直ではないことを思い知らされた。ピエトはつけあわせのパセリも残さず平らげ、満足げにゲップをし、「ルナが作ったやつのほうがうめえ!」と言った。

母泣かせの命台詞である。大感激しているルナをみながらミシェルは、ぼやいた。

「……ルナ、お子様ランチ作りかねないかも」

「……となると、俺も食えるのかなお子様ランチ」

「え?」

「いや俺、お子様ランチ、食ってみたかったんだよね。たぶんアズもだと思う。L18じゃ、お子様ランチ食えるのは特権階級のガキだけだからさ」

聞いただけではかわいそうな幼少時代を思わせるが、いい図体の成人男性がお子様ランチを食べたいという台詞には簡単に同意できないミシェルだった。ましてやあのアズラエルがお子様ランチを嬉々として食っている光景など、拝みたくはない。ちょっと想像してしまったではないか。