アズラエルがうっかり受け答えしてしまったせいで、ライアンもここで飲むのだと思わせてしまったのか、ラガーの店長がビールを持ってきた。もちろんライアンにだ。何も言わなくても欲しい酒が運ばれてくるということは、ライアンもこの店の常連になっているらしい。

 アズラエルは仕方なくタバコをつけて、灰皿をライアンのほうへ押しやった。ライアンも確か吸うはずだ。一人で飲む計画は台無しになったが、こいつをこの席から追い出す理由も、アズラエルには見当たらなかった。

 

 「アズラエルはクラウドってやつと乗ったんだろ?」

 「ああ」

 「宇宙船楽しい? 暇じゃね?」

 「ああ」

 「なんで降りねえの?」

 最後の質問だけは口調が変わっていた。本気で聞きたい質問のようだった。

 「俺の勝手だろ」

 ライアンは、あまりにそっけない答えに口をぽかんとあけ、それから声高く笑った。それ以上、追求しては来なかった。

 「確かにアンタの勝手だな。なあ、春にバーベキューパーティーやったっていうじゃねえか。店長に聞いたぞ。楽しそうだな。またやるんだろ? 俺たちも呼んでくれよ」

 「別にいいが、傭兵以外も来るぞ。ドーソンのバカ息子も来るんだってこと、覚悟しておけよ」

 「いんじゃね? 俺は楽しくやれりゃなんでもいいし。ドーソンの坊ちゃんとふたりっきりは勘弁してもらいてえけどな。……かわいい子、来るんだろ?」

 ライアンは上目づかいでウィンクした。大きくタバコの煙を吐きながら。

 「アズラエルの彼女、L77の超かわいい子だっていうじゃねえか。な、おれにL7系の女の子紹介してくれよ」

 このとおり! とアズラエルに手を合わせるところは、相変わらず憎めないキャラの男だ。だが、ライアンの中身を表面通りに見ていると痛い目にあう。アズラエルの身辺はとっくに調査済みだろう。伊達に「アンダー・カバー」を名乗っているわけではない。ライアンがアズラエルに近づこうとするのは、単に知己だからというだけではないことは、アズラエルの傭兵としての勘が察知していた。

 

 「……おまえの彼女も、傭兵にゃ見えねえけどな」

 アズラエルは、ライアンがボックス席に残してきた彼女を見もせず、言った。さっきライアンと目があったときに女の容姿も見た。どこかで見た顔だとおもった。だが思い出せなかった。ただ、即座に顔をそらしたわりには、アズラエルがそちらを見ていないときは焼け付くような視線を捻じ込んでくる。――女のほうも、アズラエルを知っているということだ。

ライアンはちらりと背後のボックス席を見、にやりと笑った。

「アンタ、あの女のこと覚えてねえの」

あの女? 恋人ではないのか。恋人ならば、あの女呼ばわりはないはずだ。だが、先ほどボックス席にふたりいたときは、ライアンは女の肩に手を回して抱き寄せ、親しげといってもおかしくないそぶりだった。

「ああ」

アズラエルは言った。「だけど、あいつは俺の顔を知っていそうだな」

ちりちりと、焼けつくような視線をアズラエルは感じた。好意的な視線ではない。視線に感情を表す表示でもついていたなら、そこには恨みと怒りと、それから怯えという語句が並んでいたに違いない。

 

「なあ、アズラエル」

ライアンの顔は相変わらず笑顔のままだったが、声色はワントーン下がった。

「俺はアンタを昔から勧誘してきただろ? ようするにアンタのことは嫌いじゃない。そういうわけで、俺がこうしてアンタに近づいたっていうのも他意はない。アンタが警戒してるほど、俺に裏はねえよ」

ライアンの言っていることは本当かもしれないが、アズラエルは警戒を緩めなかった。もともと傭兵は、傭兵を信用しない。気心が知れるほど、長い付き合いでもなければ。

「だからなんだ」

「俺はなるべくなら、アンタとのつなぎは失いたくないんだ。ロビンとアンタを天秤にかけるんだったらアンタだって話だ」

「なにが言いたい」

意味深なライアンの台詞にアズラエルは少し苛立った。

「傭兵はどんなくだらない依頼でも、金を積まれりゃ受ける。俺もそう。くだらないことはくだらないが、由緒正しいお偉方の依頼ならなあ。でもま、あいつもきっと本気じゃねえ。本気じゃねえが、仕事はバシッとやる。それがプロだからなあ、」

アズラエルのこめかみがブチッと切れる寸前で、ライアンは立ち上がって、来たときと同じようにアズラエルの肩をたたいた。

「ロビンに気をつけな」

貸しひとつね、といったままライアンは、ビールを持ってボックス席にもどって行った。

 

ロビンに?

アズラエルは問おうとしたが、ライアンの背は、すでに話しかけられる距離にはなかった。アズラエルも分かっている。ライアンは、あれ以上話す気はないのだ。

(ロビンに気を付けろ、だと?)

ロビンは同じメフラー商社の傭兵だ。ヤツが俺に、なにをするというのだ。

同じ傭兵グループの仲間だ。殺し合いはない。それは、メフラー商社内での厳然としたルールだ。仲間を死に至らしめる任務は受けない。

だが気をつけろとヤツは言った。ロビンが受けた依頼はくだらないものだが、気をつけろと。アズラエルがターゲットだとでもいうのだろうか。

アズラエルは恨みを買っている線を想像してみたが、キリがなさすぎて見当がつかない。あのロビンを雇えるだけの――ヤツの雇い賃は最低ラインで五百万――依頼主。

命に係わる問題でないのは確かだ。だがあんな言い方をされれば気になるではないか。

 

「なあおい、オルティス」

「なんだ、おかわりか」

アズラエルはカウンターにいたラガーの店長に話しかけた。

「ロビンって、最近来るか」

「来るよ」

「……あいつが、最近新しい仕事の依頼受けたって話は、聞かねえか」

ダメもとで聞いてみたが、ラガーの店長は、首をかしげるだけだった。

「石油王のボディガード以外か? 知らねえなあ。でも、傭兵なんぞ、手慰みの仕事でもなけりゃあ宇宙船には乗ってられんだろうさ。倦んじまうよ。俺ァ、あいつはマリアンヌのシマが終わったら、とっとと宇宙船を降りると思ってた。店に来ちゃあヒマだ退屈だとボヤくわりにはなあ、まだ乗ってるんだもんな」

おまえの場合はルナちゃんがいるから我慢してるんだろうが、とラガーの店長は笑いながら客に呼ばれてそっちへ行った。

 

 「……」

 ラガーの店長の感想は、アズラエルの感想そのままだった。たしかにメフラー親父には、L18に戻っても仕事が少ないからしばらく宇宙船にいろと、ロビンは言われた。だが強制ではない。ロビンの性格なら、とっくに飽きて宇宙船を降りていてもおかしくはないのだ。

 地球に行きたいと願うような性格でもないし、ミシェルに未練があって残っているわけでもないだろう。

 (ただ)

 ロビンは、アズラエルの身近な傭兵仲間でも、一番その性根が分からない人物だ。おそらく同じ傭兵グループの中で、昔から世話になっていなかったら、アズラエルはロビンを信用できなかっただろう、そういう、読めない性格ではある。

 今ロビンが受けている依頼について、ストレートにロビンに聞いたところで、ロビンは吐かない。バーガスだったら言葉を濁して教えてくれるか、手伝えといってくるかもしれないが、ロビンはどんな依頼であろうと徹底的に秘密主義を貫く。

 ロビンは、孤児だった自分を拾ってくれたメフラー親父やアマンダを、心から愛しているが、それ以外の人間には心を開かない。絶対に、自分の中に立ち入らせない強靭な壁を持っている。

 (だから、傭兵には向いてるんだけどな)

 少なくとも、くだらないとライアンが連呼するくらいの任務だったら、多少迷惑をこうむるだけで済むのだろうか。用心しておくに越したことはないだろうが――。

 アズラエルがそう思いながらグラスを傾けていると、客から解放されたラガーの店長がもどってきた。

 「アズラエル、もう一杯いらねえか」

 「くれ」

 アズラエルが空のグラスを差し出した。店長は話したいことがあるようだ。

 「任務とは関係ねえとおもうがよ、ロビンで思い出してよ、」

 「なんだ。なにかあったのか」

 ラガーの店長はアズラエルに酒をだし、苦い顔を隠しもせずカウンターにそのふとましい両腕をついて、小声で言った。

 「だれと付き合おうが、まあ、ロビンの勝手だけどよ――アイツは、ねえンじゃねえかと思うんだ」

 「アイツ?」

 「ほれ、あいつだよ、あいつ――ロビンだって見てたはずなのに、あの、バーベキューパー……、」

 

 ラガーの店長の言葉が終わらぬうちに、入り口あたりから「このガキんちょがあ!」という怒声が聞こえた。

 アズラエルもラガーの店長も、おもわず声のしたほうを見た。

 「コソコソしやがって! 親はどいつだ! 言いやがれ!」