九十三話 孔雀のおしゃべり



 

「羽ばたきたい孔雀」さんのお話をしましょうか。

 知らないでしょう、うさぎさん。羽ばたきたい孔雀さんはねえ、ものすごく新しい魂なんですよ。だからね、いろんなことに興味津々で仕方ないの。見るもの聞くもの初めてで興味津々だから、次から次へとガツガツ貪るのよ。男なんかもね。だからああなの。孔雀が飛べないことも知らずに、羽ばたきたいなんて馬鹿みたいよねえ。欲ばりと言うものだわ。孔雀がどういう鳥か、自分が孔雀のくせに、一番孔雀を知らないのよ。だからみんな、あの孔雀をバカにしているの。孔雀仲間はみんなそう。

 孔雀は飛べないんだったら! 誰か教えてあげてよ! みんなそういって笑ってるわ。自分の本質を知らない魂ほど哀れなものはないわ。ないものねだりっていうのよ。だれだって、パンダが空を飛びたいと言ったら笑うわね。ああ、ええ、椋鳥は空を飛べるわ。羽ばたきたい椋鳥さんはね、ただ飛び方を忘れてしまっただけ。あの方は記憶喪失なのよ。でも孔雀もペンギンも、空は飛べないわね。

 でも孔雀には、美しさがある。それは承知ね?

どちらかというと孔雀はねえ、ナルシストだってみんな言うわ。でも当然よ。私たちったら美しいのだもの!

 

 ……そうそう、「羽ばたきたい孔雀」さんの話。あの孔雀さんはねえ、一番最初にどこに生まれたかって、L78の田舎町。……そうそう! 地球なんか知らないわよ、あの孔雀さんは! 言ったでしょう? ごく最近生まれた新しい魂なの。生まれ変わりも二、三回しか経験してないのよ。

 

 L78のド田舎に孔雀さんは生まれて、農家の娘で、それなりに成長して、バカでも賢くもなく、平凡そのものに生きたわ。ふつうに学校に行って、卒業して実家とおなじ農家のお嫁さんになって、子どもを三人産んで育てて、年寄りになったわ。まったく平々凡々の人生で、貧乏でもなければ、裕福でもなかったわ。こどもに嫌われもせず、好かれもせず、お母さんって、平凡ね。そういう人生。で、当人もそれがつまらないとか寂しいとか思わないの。孔雀さんは何にも興味がなかったの。魂が新しすぎて、何も知らなくて、だから逆に興味がなかったのね。世の中にどんな楽しいことがあるか、どんな素敵なことがあるか――逆に言えば人生の苦悩もつらさも、それに勝る喜びも――まるで知らずにぼうっと一生を過ごしたわ。だけどね、八十歳になって、とんでもない事件があったの。ま、平平凡凡で、何も知らずに生きてきた田舎のばあさんにとってはとんでもないことがね。

 

 ばあさんの家の近所に、とっても絵がうまい姉妹がいたのよ。その姉妹はばあさんの家の畑に毎日、農作業の手伝いに来ていたの。姉妹の働き先で、住まいの大家が、ばあさんのうちだったのね。まあいろいろあって、姉妹は若くして亡くなって。しばらくしたら、彼女たちのお墓を探しに、身なりのいい紳士がド田舎にやってきたわけ。

 

紳士は、「八つ頭の龍」。

 

あのカリスマよ――龍はすごいからね。あたしたちなんか足元にも近づけやしない。そんな龍のなかでも「八つ頭の龍」は特別よ――。

 

さて、紳士は、姉妹の妹のほう――「偉大なる青いネコ」の描いた絵を探していたのね。姉の「黒ネコ」さんのゆくえも。黒ネコさんはあるとき、この田舎から失踪して、何年も経って急に帰ってきたと思ったら、妹の葬式と同じ日に川に飛び込んで死んじまったのよ。失踪していたあいだ、黒ネコさんはその紳士と結婚していたって言うんだから、ばあさんは驚きよ!

 で、もっとすごかったのはそのあと。

 ばあさんは姉妹の墓がある共同墓地まで、八つ頭の龍を案内したのね。そうしたら、その墓に飾っていた絵を、彼は欲しいと言った。絵は、青い猫さんの描いた絵よ。ばあさんは、欲しいというならあげようと、そう言ったの。ばあさんは、若くして死んだ姉妹を不憫に思っていたから――孫みたいな年だったしね――毎日墓にお花を上げて、妹が描いた絵を飾っておいてあげたのね。姉妹の父親は亡くなっていたし、身寄りもほかにない。姉妹の遺品は、引き取り手もないから、みんな大家である夫が処分してしまったし、この絵くらいは取っておいてあげようと、ばあさんは好意から残して置いただけのことだった。

――だのに。

ばあさんは、腰を抜かしたわ。「八つ頭の龍」が、謝礼金と言ってばあさんにポンと手渡した小切手は、それはもうとんでもない金額だったのよ。そう、あのド田舎じゃ家が一軒建つぐらいの。八つ頭の龍は、この絵の購入額としては安すぎるくらいだと思っていた。 でも、絵は申し訳程度に作られた風よけの内側に入れてあったけれど、風雨にさらされ、管理もなっていなかったし、あまり大きな金額ではおばあさんも驚くだろうと思って――実際、その金額でもばあさんは腰を抜かしたのだけれど――。

 ばあさんは、絵の価値なんてまるで分からなかった。たしかにあのネコさんたちは絵がとても上手だったけれど、まさか、絵がこんな大金に化けるなんて。

そこで、そのばあさんは思った。

 

ああ――どうしてあたしは、絵が描けないんだろうってね。

 

青いネコさんは、絵を描くのがとても好きで、いつも楽しそうだった。ばあさんは、そんな青いネコさんをちょっとだけ羨ましく思っていた。好きなこと、得意なことがあっていいわね――そう言いながら、たまに青いネコさんが絵を描くのを眺めていた。自分も絵が描けたらいいなと思っていたけれど、自分には描けないと思っていた。面倒そうだし、畑の仕事で忙しくて、そんな暇はないし。

しょせん、絵は絵。

そう思っていたのに、その絵は、こんなすごいお金に化けてしまった。それだけでも衝撃なのに、妹の青いネコさんの絵をきっかけに、黒いネコさんはこんな素敵な紳士と結婚していた! 

ばあさんはなんと、生まれて初めて男の人を素敵だと思ったの。

八つ頭の龍は、それはもう最高の紳士だったわ。いい匂いがして、身だしなみもきちんとしていて、田舎のばあさんにも優しかった。ばあさんは、恋も知らずに一生を終えようとしているのよね。親の勧めに従って、近所の顔なじみと結婚して。恋なんて知らない。恋とか関係なく、周りもさっさと結婚していくし、こんなもんかなんていって結婚したから。夫からはこんないい匂いなんてしなかった。泥と草と、酒の臭いしかしなかった。周囲には、そんな男ばっかりよ。それが、ばあさんの世界だったの。

地球行き宇宙船なんて、L55なんて、童話の世界より遠いのよ。

 

ばあさんは、心から後悔した。

 

この一生で、私は何をしてきた?

私は、何を見てきた?

わたしはいったい、なにをしたかったんだろう?

そう。

 

生まれ変わったら、絵を描くの。

 

ばあさんはお墓の前で腰を抜かして、小切手に顔を埋めて泣きながら、そう決意したわ。そして次の日死んだの。身内は、いきなり大金を貰ってびっくりして、ショック死したんだろうってそう考えたわ。でも、その大金は子どもたちの懐に入ったから、だれも八つ頭の龍を恨まなかった。

 

それが、「羽ばたきたい孔雀」さんの、始まりのお話。