「ルナあ! 俺の服と靴は!? カバンは!?」

 

 土曜日のことだった。本日はいよいよ、アンジェラのガラス工芸教室の日だ。

ピエトは今日、学校は休校で、朝早くから叫んでいた。つい先日まで自分が着ていた服や靴、長年愛用してきたカバンがどこにも見当たらなかったからだ。

 トランクス一丁で部屋からキッチンへ駆けてきたピエトに、ルナはひどく申し訳なさそうな顔をした。

 「ご、ごめんね……。捨てちゃったの」

ルナは白状した。

 「ええーっ!?」

 ピエトは悲鳴を上げ、とたんに泣きそうな顔になった。大切にしていたものを捨てられて、でもルナ相手には怒るに怒れず――といった具合だ。

 「な、なんで捨てたんだよう……ボロだったから? ゴミだと思った?」

 「ごめんね、ほんとにごめん。たぶん、思い出のものだったんだよね?」

 ルナが平謝りに謝るので、ピエトは、

 「別に思い出ってわけでもねえけどよ……」

 とふてくされて俯いた。カバンと服、靴は捨てられていたが、ピピの思い出の品を入れている段ボールには手を付けられていなかったし、カバンも靴も服も、もともとぜんぶ盗品だ。新しい服も買ってもらったし、惜しいわけではない。なかったが――。

 

「俺が捨てろって言ったんだよ」

新聞を広げながらのアズラエルの台詞に、ピエトは瞬間沸騰した。

「なんでだよ!! 人のモン勝手に捨てやがって!!」

アズラエルには遠慮なく怒鳴ることができる。ルナにはできないが――ピエトはだんだん! と飛び跳ねながらアズラエルの元へ行き、最終的に蹴とばした。だがアズラエルからデコピンという反撃を食らい、額を押さえて蹲った。

 

 「よう、クソガキ」

 アズラエルは新聞をたたみ、ピエトと同じようにしゃがみこんで小さな頭を小突いた。ルナがハラハラしながら、エプロンの端を握ってその光景を見つめていた。

 「てめえがラガーで当たり屋にぶつかったのは、運が悪かっただけだと思ってンのか。え?」

 「……?」

 ピエトは、涙目でアズラエルをにらみあげた。アズラエルの言っている意味が、分からない。

 「このあいだラガーで、てめえがスリに騙されたことはただの偶然で、てめえの運が悪かっただけだと、そう思ってんのかって聞いてンだ」

 ピエトは目をぱちくりとさせた。ルナもだ。アズラエルはピエトの反応を見、やれやれと大げさに肩を竦め、深い深い嘆息をしつつ、言った。

 

 「もとはと言えば、てめえの格好のせいなんだぞ」

 ピエトは、思いもよらないことを言われて、たちどころに怒った。

「なんでだよ!!」

 ピエトは今までだってあの恰好だったが、当たり屋なんてスリに出会ったことはなかった。あのことは、運が悪かっただけだ。

 だがアズラエルはますますあきれ顔になった。その態度が気に入らなくて、ピエトはますます機嫌が悪くなった。

 

 「少なくとも、てめえが学校に行ったときみてえな恰好でラガーに来てたら、当たり屋はてめえを狙わなかった」

 ピエトの足の踏み鳴らしが止んだ。「……なんでだよ」

 「あのな、当たり屋ってのはな、スリなんだ」

 「ンなことわかってるよ!!」

 わざとピエトにぶつかり、ピエトの懐に自分の財布を入れ、自分の財布が盗まれたと訴え、金をふんだくる――そのシステムは、ラガーの店長から聞いた。

 

 「ぶつかる相手もスリじゃねえと、成り立たねえんだぞ。当たり屋ってのは」

 「……!」

 ピエトはやっと意味が分かったようだった。怒りがきゅうに萎んだような表情で、

 「……じゃあ、あいつらは、俺がスリだって、知ってたの……」

 

 アズラエルはやっとあきれ顔をやめて頷いた。

 「あいつらはルナみてえに、小奇麗なかっこうしたいいトコのお嬢ちゃんは、狙わねえ。あたりまえだ。ルナが、あんなボロッちい恰好したスリの財布を盗むかってンだ。ルナが警察を呼べば、逮捕されるのは当たり屋のほうだ。当たり屋が、いくらルナがスッたといっても、警察がどっちを信用すると思う。分かり切ってることだ。だから当たり屋は、同じスリしか狙わねえ。スリは警察には行けねえだろ。警察に行ったら、自分もつかまるから、当たり屋に適当に払って、それで済ませるんだ。おまえだってそうだろう? あれがエルトで起こったことなら、有り金あいつらにぶちまけて、逃げるのが関の山だったんじゃねえか? 警察には行けねえ。お前もつかまる。警察はスリを二匹つかまえて喜ぶだけだ」

 「……」

 「てめえみてえに薄汚れた格好で、ポケットに手ェ突っ込んであたりをキョロキョロ、ひっきりなしに見てるような奴はな、俺だってスリだとわかる。L8系や4系からきた、原住民のガキだってな。ましてや同業者なら一発だ。てめえはいかにもカモですって顔で、歩いてたんだよ」

 「……!」

 ピエトは反論もできずに立ち尽くした。

 

 「てめえ、傭兵になりてえんじゃなかったのか」

 急にアズラエルの声が、ヒヤリとした。ルナも驚くほど。ピエトの顔にもさっと緊張がはしる。

 「な、なりてえけど……でも、」

 「俺は、スリを育てる気はねえぞ」

 ルナは口を挟もうとして、黙った。ピエトが固まっている。

 

 「いいか。これは原則だ。過去を捨てきれない傭兵は死ぬ」

 「……か、こ?」

 ピエトが蚊の鳴くような声で言った。

 「俺が、本格的に傭兵として親父に扱われはじめたのは、おまえと同じ年だよ」

 「……え」

 アズラエルが自分のことをピエトに話したのは、これが初めてだ。ピエトは驚き、目を見開いた。

 「ちょうどそのころ、俺の一家は悪い奴らに追っかけまわされてL18から逃げてる時期だった。出発してまもなく、俺の荷物は全部オヤジに捨てられた。L18を臭わせるものはすべてな。服どころじゃねえ、数少ない友達との思い出の品も全部だ。怒った俺が親父に食って掛かったら、かえってきた言葉がこれだ」

 「――傭兵は、過去を捨てきれないと、死ぬって?」

 「ああ。親父は俺から、徹底的に軍事惑星のにおいを消そうとした。俺をL52の学校に入れて、上流階級のガキどもと同じ生活をさせた。一年間――それで俺は、こんなにもお上品に育ったってわけだ」

 「……」

 ルナもピエトも突っ込みたいところはいっぱいあったが、アズラエルは特に突っ込みは期待していないようだった。

 「L4系にもいったぜ。原住民の巣で暮らしたこともある。……傭兵は、どんな場所にも違和感なく溶け込めなければ、死ぬということがわかったよ。さすがの親父もそこは一ヶ月で出たけどな」

 ピエトが、ごくりと息をのんだのがわかった。

 「俺はてめえに、俺の親父ほど徹底してやるつもりはねえ。だがてめえの生半可な覚悟は許せねえ。――傭兵になれなかったら、いつでもエルトにもどって、スリにもどれると考えてる、てめえのな」

 図星だったのか――俯いていたピエトの肩がビクリと揺れた。

 

 「ルゥ、持ってきてくれ」

 「う、うん……!」

 ルナがてけてけとキッチンからかけて行き、大きなゴミ袋をうんしょ、うんしょと運んできた。

 「それ――」

 ピエトがゴミ袋に飛びついた。なかには、ピエトのずだ袋のような革鞄にくつ、服がまとめて押し込まれていた。

 まだ、捨てられていなかったのだ。

 

 「てめえが、自分で決めろ」

 袋の中を覗き込んでいるピエトに、アズラエルは言った。

 「ほんとうに傭兵になりたいなら、そのゴミ袋を自分でゴミ捨て場に持って行け。嫌なら、捨てなくていい。だが、そうしたらてめえはたぶん変わらねえ」

 ピエトはごみ袋の端を、手に筋が浮くほど握りしめて、考えていた。

 「一生、スリのままだ」

 

 アズラエルの言葉に、ピエトは彼を見つめ、ルナを見た。ふたりとも、息をつめて――とくにルナのほうが、緊張した面持ちでピエトを見ていた。ピエトはもう一度唾をのみ、ごみ袋の中身を凝視した。そして目をぎゅっと閉じて、「あ、あのさ……」と声を振り絞るようにして、言った。

 「……俺、これ捨ててくる。どこに捨ててきたらいい?」