ルナは、そわそわ、そわそわと強面の男たちに囲まれたクラウドとララのテーブルを眺めていたが、ただでさえ遠い上に、テーブルが筋肉ダルマな男たちにみっしり囲まれてしまったせいで、様子も伺えなくなってしまった。

(なに、話してるのかな……)

ルナがもうちょっと近づこうかなと思ったころには、カフェテラスの席はすべて埋まっていた。

やがて男たちの囲みが崩れたかと思ったら、ララはさっさと帰ってしまった。

 

(あ、……あ〜あ)

結局、クラウドとララの会話はまるで聞けなかった。クラウドは、ちゃんとララに絵を渡す約束をしたのだろうか。

ルナがうさ耳をゆらゆらさせながら、ぬるくなってしまったジュースに口をつけていると、クラウドも席を立った。そして――こちらにやってくるではないか。

 

「……」

ルナがぼけっとしている間に、クラウドはルナの向かい席に座った。

「ルナちゃん、バッグ忘れたの」

「……」

ルナはぽかん、とクラウドを眺めた。

「ち、ちがいます……るなちゃんじゃないです……」

慌てて帽子を目深にかぶり、首を振ったが、すでに正午を過ぎていた。ピエトを伴ったアズラエルが申し合わせたようにのっそり到着し、

「ようルナ。ストーカーの用事とやらはすんだのか」

とルナの隣の席に座りながら言ってしまったので、ルナは最終的に叫んだ。

「あたしはルナちゃんじゃないです!」

 

ルナちゃんじゃないルナと、アズラエルとピエトとクラウドは、とりあえずリズンで昼食を済ませた。ルナは必死でルナじゃないと言い張っていたが、誰もがルナをルナとしてあつかったので、ルナは窮地に追いつめられた。

昼食を済ませたあと、アズラエルとクラウドはわざと「ルナ、会計頼む」と言って席を立った。二人の予想通りルナは「財布がない!」と叫び、最終的に自分がルナだと認めざるを得なくなったのだった。

会計はアズラエルが済ませ、変装が失敗したルナは帰り道落ち込んでいたが、クラウドのストーカーとしてリズンに来ていたことは自供した。そのついでに、「ララさんにはいつ絵を渡すことにしたの」とクラウドに聞いたが、クラウドは「そのうち渡すことにした」とあいまいな言い方をした。

ルナはまったく腑に落ちなかったが、家についてしまい、それ以上は追及できなかった。

 

 

 

 

「まったく、幸運ときたらあたしの傍までしたり顔で寄ってきて、いつもそっとすり抜けていくのさ!」

ララはリムジンの中でイライラと足を踏み鳴らしていた。秘書がタバコに火を点け、ララの口元へ持っていく。

「船大工の絵が見つかったっていうのに――手に入らない! めのまえにあるのに! ある場所が分かっているのに!!」

「ララ様、落ち着いて」

スーツを着て髪を後ろになでつけている姿は別人のようでもあったが、たしかに先日、アンジェラの監視をしていた男だった。ララの秘書である。

ララは勢いよく鼻と口から煙を吐きだし、「クラウドの女がなんだっていうのさ!」と怒鳴り、「過保護もいいとこ過保護さ! アンジーがああいう女だって分かっていて、近づけるほうが悪いんだろう。あたしは何度も忠告したはずだ」

忌々しげにもう一度歯ぎしりをした。

「アンジーもあたしもヒマじゃないよ! クラウドの女なんて知るもんかい! どうしていちいち、嫌がらせなんかするかい! 今までだって嫌がらせなんかしたこと……」

そこまで怒鳴ってララは、「――クラウドの、女」と、我に返ったように呟いた。

「ねえ、シグルス」

「はい」

「……もしあたしが、クラウドをパートナー同伴で、パーティーかなんかに招待したとしたら、ま、たいていは――彼女を連れてくるもんさね?」

「まあ、そうでしょうね」

シグルス――秘書は同意した。

ララは、サルディオネとの会話を思い出していた。石油王ムスタファを通じて、クラウドとアズラエルをパーティーに呼ぶのだと――。

 

『ララ! ムスタファに頼めるのはあんただけだ! ムスタファの屋敷で、あのシャンデリアがある大広間で、盛大なパーティーを開くんだ』

 『なんだって?』

 『ララ、あんたじゃなく、ムスタファに招待状を出してもらって。あんたからじゃ、クラウドもアズラエルも用心しちゃって、来ないかもしれない。だからムスタファに出してもらうの。パートナー必須って条件でね』

『クラウド?』

『ララ、あんたがクラウドに声をかけたのは、彼があんたの運命の相手の近くにいるからさ。でなければ、あんたはクラウドには声をかけなかったはずだ。無意識に、気づいていたから、彼と親しくなろうとしたのさ――無意識下の、八つ頭の龍がね』

『ええ?』

『あたしは、運命の相手の名も、月を眺める子ウサギの名も教えないよ。それが真砂名の神のご意志だ。ララ、あんたが、先入観なしに直接彼女らと会って、気づかなきゃいけない』

『つまりは――クラウドとアズラエルが連れてくるパートナーが、そのどっちかだってことだね?』

 

「……何てことだ、あたしのバカ」

もうとっくに、自分で確認していたことではないか。

ララはあのときの会話を反芻しながら、気づかなかった自分を恥じた。

 

「シグルス!」

「はい、なんでしょう」

「ガラス工芸の経験者はできれば作品を提出しろといったけど、提出したヤツはいるかい!?」

「抽選で当選しました二名の方と、そのミシェルさんという方は提出されています」

秘書も、クラウドとララの会話をそばで聞いていた。秘書はブリーフケースから、紙の束を取り出す。それは、参加者が、自分の作品を写真におさめたものを貼りつけた提出用書類だ。

ララはひったくるようにそれを奪い、パラパラとめくった。すぐにミシェルの作品は見つかった。ララは、ひとめで分かった。

ミシェルの提出した作品は、何の変哲もない、ガラスのコップの写真だった。何の変哲もない、とはいったが、持つ人の指にしっくりくるように工夫された、優美な曲線をえがいたグラス。わずかな気泡が底の方に残っている。美しいグラスだった。

ほかのふたりとあきらかに一線を画しているということは――ララにしか、分からなかったに違いない。

残り二人のうち、女性の方は、色彩も鮮やかな、前衛的ガラスの造形。波を表現したであろう、人の身長ほどもある作品だ。男性の方は、ミシェルと似たり寄ったりのグラスではあったが、ふたりとも、大きな自意識が見て取れた。アンジェラの目に留まりたいばかりに、自身の最高傑作ともいえるべき作品を貼りつけたのだろう。

ララには分かっていた。この二人の最高傑作は、決してこの作品ではない。

だが、ふたりとも、実に才能ある若者だ。ララは愛おしい目で二人の作品を見遣ったが、ミシェルの作品を見る目からは、いまにも涙が落ちそうだった。

(……ミシェルは、いったいだれのためにこのグラスを作ったのか)

だれかに気に入られようという媚びも、自負も、いっさい見当たらない。ただ純粋なまでに、だれかを思って作られたガラスの容器。

(美しい)

ララは、このグラスが欲しかった。

書類を握るララの手に、力が籠もった。

 

「――この子、だ」

 

ララの審美眼は、見落とさなかった。

何の気負いもない、素直なくらい澄んだ造形。真砂名神社の絵とおなじだ。

 

「この子だ、この子に間違いない」

 

百五十六代目サルーディーバの生まれ変わりであり、真砂名神社の、マーサ・ジャ・ハーナの神話の絵を描いた、名もなき娘の生まれ変わりでもある、少女。

 

ミシェル・B・パーカー。

 

ララは、写真上の名前を、噛みしめるように読んだ。

 

「……クラウドも知っていたんだね」

ミシェルが百五十六代目サルーディーバの生まれ変わりということを。

サルディオネと繋ぎがあるというなら、知っているのもうなずける。

だからクラウドは、あれほどまでに心配したのか。アンジェラの行動を? 船大工の絵を盾にしてまで。

いつか、ララがミシェルを探し出してしまうことを、クラウドは知っていた。もしララがミシェルを見出し、彼女に近づけば、必ずアンジェラの嫉妬を受けるだろう。ララに近づくことは、アンジェラに近づくことでもある。アンジェラの嫉妬は免れない。それにはララがミシェルと関わらなければいいのだが、そうはいかない。

「まったく……回りくどいことをしてくれるよ、ほんとに」

ララは嘆息し、屋敷への帰路を急ぐよう、運転手に命じた。