アンジェラは講習会をやる気などなかった――これは、もとはといえば、宇宙船がわの、熱烈なアンジェラファンのスタッフが、ララに頼み込んで実現させた、なかば強引なイベントだった。

アンジェラが宇宙船に乗ってから、彼女の個展は何回となく開かれてきた。そのとき、営利目的を超えたところで頑張ってくれた有志スタッフの頼みごととなれば、ララも断りづらい。アンジェラが、自分の技術を人に教える気がなく、講習会をひらくことも嫌っていても。

ララの命令だから仕方がない。アンジェラは最初、そういう気持ちでいやいやイエスの返事をしたのだが、もとから嫌なことは絶対にやらないアンジェラだ。

そもそも、ほんとうにアンジェラに講習会を開く気があり、厳選な抽選が行われていたのなら、ミシェルの特別扱いが通ることはなかった。

クラウドから頼みこまれてもララは突っぱねていただろう。正式に申し込めと。

 

講習会の内容は二転三転し、結局、アンジェラの気まぐれで、最初行うはずだったガラスを熱してグラスを作る実技講習はなしになった。

予定とはだいぶ異なってしまったイベントに、一般公募された――アンジェラの講習会とあれば、彼女からの直接の指導を期待している一般のファン――を呼ぶわけにはいかなくなった。

よって、抽選で受かり、すでに連絡してしまった三名――エレナを含む――以外は、ララの取り巻きから希望者を募ることになった。

ミシェルがコネだというのなら、残り十六名もコネにはちがいない。ララは、まともな講習会にはならないことを知っていて、それでもいいならとミシェルの参加を許可したのである。

 

講習会は結局、どうしてもアンジェラがやりたくないとわがままを通したため、今更だが、ララが自腹を切って内容を大きく変更させた。

アンジェラは自分の美術に対する思いを語る――それもスタッフが作った前原稿で。参加者には、出血大サービスとばかりにアンジェラの画集と作品をプレゼントする。画集は三万デル、グラスは普通に店頭に出せば、百万近くの値が付く、サイン入りの一点ものだ。アンジェラマニアなら垂涎の最新作。

ララはアンジェラと自社の信用のためにここまで骨を折った。三十分の講義くらい、我慢しろとララはこってりと言い聞かせたはずだった。

 

「だってもともと、アンタの彼女――ミシェルって子は、アンジェラに一回でも会えればいいって、そういうことなんだろ」

 

ララは、ミシェルがアンジェラの工房を見たいという申し入れは、最初から断っていた。「アンタの彼女を再起不能にしたいなら、許可してやってもいいよ」とララは言った。ララなりに、アンジェラが苛烈な性格の持ち主で、ミシェルに害を及ぼすことは間違いないのだからと、心配したのだ。

クラウドはララがそこまで考慮してくれたことに驚きを隠せなかったのだが、それを口にしていたら、「あたしをなんだと思ってたんだい」と呆れ声がかえってくるに決まっていた。ララはこれでも、さまざまな理事会の理事を兼任し、地球行き宇宙船の株主でもあるのだ。

無駄に娼婦だったジジイで、エキセントリックで妖怪なだけではない。

もちろんララは、アンジェラに、今日の講習会でミシェルを個人攻撃するなと厳命してあった。アンジェラの性格だ、それをしかねないからだ。

アンジェラは、ミシェルの存在を知っている。彼女がララのお気に入りであったクラウドを奪い、アンジェラからは、ミシェルの友人がアズラエルを奪った。復讐心に燃えるというほどではないが、アンジェラは、アズラエルがそこそこのお気に入りだったため、彼が自分よりほかの女に夢中だということが、おもしろくなかった。

その八つ当たりが、ミシェルに向かうこともララは重々承知の上だった。

 

「俺も、君がそこまで約束してくれたから、ミシェルを行かせる気になったんだ」

だけど、とクラウドが言葉を紡いだ。

「俺が得た数日前の情報だ」

ここ数日、ララは宇宙船を離れていた。

 「結局、アンジェラのいつもの気まぐれで講義は十分になった」

 君が屋敷に戻れば、耳に入ることだろうけど、とクラウドは前置きした。

「なんだって?」

そんな勝手を、許した覚えはない。ふたたびララの逆鱗が膨らんだ。

「もともと、アンジェラは今日の講義はボイコットするつもりだった――君の留守に乗じてね」

「……」

「彼女を説き伏せたスタッフの苦肉の策は、最終的にミシェルをアンジェラに攻撃させることだった」

「……どういう意味だい」

ララの周辺だけ空気が変わって、傭兵かSPかといった男たちをも怯ませた。

「スタッフの誰かも、アンジェラが参加者の一人であるミシェルに個人的関わりがあって、彼女を嫌っていることを知ったんだね。彼女が、ミシェルに嫌がらせをしたいけれど、ララに止められているのも分かっていた。ミシェルを苛める目的だけで、アンジェラは今日の講習会に出かけたんだよ。――スタッフの連中は、それでもアンジェラに講習会はしっかりやってくれって、講習会が終わったら、ミシェルとケンカをしてもいいからって――そう説得したらしいけど、そう上手くいったかどうか。アンジェラのことだ。講習会前に爆発してるんじゃないかと思うけどね」

講習会が台無しになっていないことを祈るよ、とクラウドは言った。

ララの鋭い歯ぎしりで、自分の胴体が真っ二つになるような感覚を、まわりの男たちは味わった。それほどの怒りが込められた歯ぎしりだった。

 

「それであんたは――あたしに何を望んでるの」

ララの凄みのある声が、風に乗ってクラウドを取り巻いた。

「アンジェラにペナルティーを」

クラウドははっきりと言った。

「今日、ミシェルは傷ついて帰ってくるだろう。俺はそれを覚悟で行かせた。アンジェラに会うことも、アンジェラがああいう人間だと知って会いにいったことも、ミシェルの責任で、ミシェルの自由だ――俺は止められない。ミシェルもじゅうぶん考えて、アンジェラとの接触を望んだわけだから――だが、俺も黙ってはいられない。恋人を泣かせて、黙っているわけにはね」

「……どんなペナルティーをお望みだい」

「それは君に任せる。アンジェラにとっての最高のペナルティーがどんなものかは、俺には分からないから」

「……」

「俺が心配してるのは、これが一度で済めば恩の字だってことさ――今回のことでアンジェラの気が済んで溜飲を下げてくれればいいけれど、“これから先も”、ミシェルへの嫌がらせが続いたら、困る」

クラウドの言葉が終ったところで、ララは「会計してきな」と男の一人をレジにやらせた。

「アンジェラに仕置きしたら、あんたに報告するよ」

「そうしてくれるとありがたい」

「報告と一緒に、絵も渡してくれると嬉しいんだけどね」

ララは立って、返事を待たずにテーブルを離れた。

 

クラウドはララに声を掛けなかった。掛けられなかったのだ。彼女の姿がリムジンに消え、そのリムジンすらも見えなくなってから、身体全体で「ふうーっ」と深呼吸をした。

まだ少し手が震えてい、全身にびっしりと冷や汗をかいていた。

(怖いひとだ)

クラウドは汗が冷えるまで待った。アンジェラへのペナルティーがどんなものになるか、クラウドは想像したくもなかった。ララがアンジェラを可愛がっていることは知っているし、ララの会社にとってもアンジェラは大切な芸術家だ。命にかかわることはないだろうが、あのララの怒りようは、クラウドも震えあがるほどだった。

(だけど今釘を刺しておかなきゃ、今後、アンジェラがどんなふうに出るか分からない)

アンジェラは、ララの言うことを聞かないことが往々にしてある。そしてララは、アンジェラには甘い。今回の講習会の妥協など、その最たるものだ。だから、今回のように、ララにもなあなあの態度を取らせるわけにはいかないのだ。

あれはルナに届いた絵だ。クラウドが勝手に取引材料につかったのは悪いと思ったが、船大工の絵を質に、ミシェルの安全を保障してもらわなければならない。

(ごめんね、ルナちゃん)