「ミシェル、ミシェル起きて。そろそろ起きないと、講習会に遅れるよ」

 「うう〜ん、起きたくない……そして行きたくない……」

 ほんとうに、あれだけアンジェラのガラス工芸教室を楽しみにしていたミシェルはどこへ行ったのだろう。講習会当日。ミシェルは布団にしがみついていた。いつもならとっくに起きている、朝の八時である。

 

 「行きたくないならべつにいいんだよ……。もう少し寝てる?」

 クラウドの優しい声に、ミシェルはがばあ! と布団を跳ね上げ、その勢いで猫パンチがクラウドの顎に入った。

 「うっ!?」

 「もうダメダメだあ!! なんでクラウドってあたしを甘やかすの!? アズラエルみたく、『てめえが決めたんだろ、行くだけ行って来い』とか言えないの。はーっ、もう!! ダメだわ、」

 綺麗にはいった顎を押さえて悶絶するクラウドを見もせずに、ミシェルはベッドから降りてアズラエルの口まねをした。その拍子にクラウドの足を踏んだ。クラウドの声なき絶叫は、ミシェルには届かなかった。そうしてクラウドを背に、自らの両頬をぱん! と叩いて気合を入れたミシェルは、寝室から出て行った。

 「まわりが甘いと、ちょっとは自分に厳しくしないとって思うよね」

 もうちょっと俺に優しくしてほしい。

切に願うクラウドは、足と顎を押さえた体勢のまま、しばらく動けなかった。

 

 「ピエト、今日学校休みなのね」

 すでに朝食を済ませて、アズラエルとそのあたりを走ってくるのだと、トレーニングウェアに着替えているピエトの、ソファから飛び出た小さな頭を眺めながら、ミシェルは言った。

 今朝の朝食は小ぶりな焼鮭とおひたしと卵焼き、ご飯とお味噌汁。クラウドの分まで鮭をつつきながら、ミシェルはご飯をお代わりした。

 「今日は食べるね、ミシェル」

 「うん。気合入れて行かなきゃね」

 小鉢の浅漬けを足してあげながらルナが言い、ミシェルはご飯を豪快に掻っ込んだ。

 「いよいよか。アンジェラのガラス教室」

 ミシェルはひとりごとのように呟き、「ルナもあたしを甘やかしちゃだめだよ」と思い出したように言った。

 「ええ?」

 「小鉢にお漬物足しちゃだめだよ。また食べちゃうじゃない」

 「ほんとにそうだ。ミシェル今日は食べすぎかも。おなかこわすよ」

 ルナは再度お代わりにと差し出されたお茶碗に、てんこもりに米を盛り付けながら、言った。

 「ルナちゃん、俺もお代わり」

 「ごめんクラウド……ぜんぶなくなっちゃったの……」

 ルナが見事空っぽの、炊飯ジャーを掲げて見せた。クラウドが差し出した茶碗に白米がつぎ足されることはなかった。クラウドは、「……今日はアンラッキーデーだ……」とすこし落ち込みつつ、味噌汁を啜った。

 「……たいへんだ。これはたいへんだ。今度から七合は炊かなきゃ……」

 空の炊飯ジャーに戦慄し、ぶつぶつ呟いているうさぎを尻目に、ピエトがダッシュして、ミシェルの背中に飛びつく。アズラエルとともに炊飯ジャーの中身を大幅に減少させ、ルナを慄かせている張本人である。ミシェルは米粒を噴くところだった。

 「ミシェル! じゃねえ姉ちゃん! ありがとな、うさぎ!!」

 ピエトは自分のバッグパックに、ミシェルからもらったマスコットをくっつけていた。

 「これうさぎって言うんだろ、俺、図鑑で見たことある」

 「L85――なんだっけか――あ、エルトには、うさぎはいないの」

 「いない」

 ピエトはあっさり答えて、まるでうさぎのようにぴょんぴょん飛び跳ねながらアズラエルを追った。何故だか知らないが、バックパックを背負ったまま。

 「じゃあ行ってきまーす!!」

 「いってらっしゃい!!」

 ピエトの大声に釣られたのか、ルナもミシェルもクラウドも、ずいぶん元気良い返事を返した。

 

 「それじゃミシェルも、行ってらっしゃい」

 ピエトとアズラエルがランニングに出発して三十分も立たないうちに、今度はミシェルの登校時刻がきた。

「……俺も行こうか? 一応付添いということで、」

クラウドが心配そうに言ったが、ミシェルは「ピエトじゃあるまいし、たかが講習会に付き添いってどうよ」とすげなかった。だがよほど行きたくないのだろう、のたのたとスニーカーを履き、のろのろと玄関のドアを開けた。

「ほんじゃ、いってきまあ〜す……」

「……いってらっしゃい」

ピエトとは対照的に、テンションガタ落ちのミシェルが発した挨拶に、ルナとクラウドも小さく返した。

 

「クラウド、あととか付けちゃダメですよ」

ミシェルの姿がなくなってから、ルナは念のためそう言ってみたが、クラウドからはだいぶまずい返答がかえってきた。

「用事がなかったらもちろんそうするつもりだったけど」

クラウドの顔は真剣だ。ストーカーとは真剣なものだ。ルナは炊飯ジャーの中身をみたとき同様戦慄しつつ、クラウドに用事があったことを感謝した。

「用事って?」

「うん。……ちょっと早いけど、リズンに行くね、俺も。ララと待ち合わせてるんだ」

「ララさん!」

ルナはぴこん! とうさ耳が立った。

「もしかして、このあいだの絵のこと?」

「そう。さっそく連絡が来てさ。話を聞きたいって」

クラウドはうさ耳を見ないようにしながら(カオスと呟きたくなるので)自分もその場で靴を履いた。

「だからコーヒーはいいよ。ルナちゃん、今日も朝ごはんごちそうさま」

「うん……いってらっしゃい」

 クラウドも軽く手を挙げて、出て行った。

(あたしは行かなくていいのかな?)

だがクラウドはルナを誘ってはくれなかった。

(あたしは?)

ルナはうさ耳を垂らし、洗濯をするためにてててーっと洗濯機のある場所へ駆けて行った。

 

 洗濯機に男二人ぶんの汚れ物を入れてから、のんびりコーヒーでも飲もうとキッチンに行きかけたところで電話が鳴った。部屋に備え付けの電話だ。ということは、たいてい、宇宙船内の友人から。ルナはぺぺぺーっと電話機に駆け寄った。

 「はい、もしもし」

 『オッス、ルナ、ひさしぶり』

 ――電話の相手は、ルーイだった。