(――ルナちゃん? なにしてるんだ、あんな格好で)

 

カサンドラの素性を見破った、元心理作戦部の副隊長を、ルナの俄仕込みの変装でごまかせるわけはなかった。

クラウドは、リズンのカフェテラスの一席に座ってララを待っていたわけだが、いきなり現れた変わった服装の女の子に目が留まり、よくよく見てみたらそれはルナだったというわけだ。

(いつも持ってるバッグ、どうしたんだろう)

ルナは手ぶらだった。いつも持っているサーモンピンクのバッグが見当たらない。

どうしたもこうしたもない、忘れたのだろう。

クラウドにはルナの常軌を逸した行動の理由がすぐにわかった。クラウドがララと会うと言ったので、こっそり様子を伺いに来たのだろう。だが、それにしても変装はお粗末だったし、こんなに離れた席に座っては、クラウドとララの会話も聞けない。今日はただでさえ、リズンは混んでいた。女の子の集団と、わかい恋人たちのにぎやかさは相当なものだ。

 

(あのウサ耳アンテナで聞いてたら怖いな……)

クラウドはついに「カオス……」と呟いてしまった。クラウドはルナと目線が合わないようにしているが、ルナは一生懸命こちらを凝視している。ウサ耳をぴこぴこ揺らしながら。

クラウドははっきりと悟った。ルナに尾行の才能はない。

(知らないふりしていよう)

アズラエルは、ルナがここに来たことを知っているのだろうか。クラウドは、用事が済んだらルナの元へ行って、家に置いてきたお詫びにドリンク代くらい払ってやろうと考えていた。

そう――クラウドは用事が済むまで、ルナに話しかけるつもりはなかった。ルナは、この席には呼ばない。ルナを連れてこなかったのには理由があった。

 

クラウドが、ルナの行動に呆れながら自身のコーヒーカップに手を付けたとき、このファンシーなカフェに恐ろしく不似合いなリムジンが横付けされた。若い男女の視線は、一度でも、やたら長い車に移った。この界隈で見るのはめずらしい車種だ。

約束の刻限より十五分も早かった。運転手がドアをうやうやしく開けた途端に――ララが転びそうな勢いで飛び出てきた。いつも悠然とした彼女にはありえないくらいキョロキョロあたりを見回し、クラウドを見つけると、周りの制止も聞かず猛然と走り出した。裾が地面に擦りそうなドレス姿で。

 

「クラッ、クラッ、クラ!」

「……久しぶり、ララ」

「ふな、ふな、ふなっ……船大工!! ふなっ……!」

ルナの行動様式も常軌を逸しているが、ララはそのうえを行っていた。興奮状態でうまく口が回らないようだ。クラウドのテーブルをバンバンと叩き、やっと、

「船大工の絵が見つかったんだって!?」

と絶叫した。その声は一瞬、カフェのガヤガヤとした雑音をしんと止ませたし、ルナの耳にもはっきりと届いた。ルナのウサ耳がぴーん! と立つ。

 

「まあ、落ち着いて、ララ」

クラウドはララに向かいの席を勧めた。カフェは大声に驚いただけで、すぐに雑然とした雰囲気を取り戻す。

ララの容姿も衆目を集めたが、周りを強面の男たちが囲みだすと、一般市民は関わりあいたくないとばかりに、即座に視界の外へやった。

ララはウエイトレスをつかまえて「コーヒー!」と叫んだあと、向かいの席にどっかりと座った。

「船大工の絵はどこ!?」

「だから、落ち着いてくれ」

ララの興奮状態はクラウドの予想を超えていて、クラウドは内心、困っていた。クラウドは、ララが船大工の絵が見つかったことを知れば、喜んで引き取ってくれはするだろうと思ってはいたが、正直、ここまでの興奮ぶりを予測してはいなかったのだ。ララは完全に冷静さを欠いている。

 

――これでは、取り引きがうまくいかないかもしれない。

 

「船大工の絵は、中央銀行の保管所にあずけてある」

クラウドは、この話が仮定ではなく本当なのだとララに信じてもらうため、そして落ち着いてもらうために、まず在り処を明かした。

「いったいなにが――どうなって? 宇宙船内で見つかったのかい?」

「いや、そうじゃない。船大工の絵は、サルーディーバ記念館から届けられたんだ。ルナ・D・バーントシェントという女性宛てに。彼女は、アズラエルの恋人だよ」

クラウドは、ララに、先日の顛末を説明した。こちらは嘘隠しもなく。サルーディーバ記念館から、ルナ宛に絵が届いたこと、ルナはとくに送られる覚えがないこと。中身を確かめたら、真砂名神社で見た絵と同じ作家であろうとおもったので、クラウドを通じ、ララに寄贈しようと思っていること――。

 

「その子――そのルナって子、真砂名神社のギャラリーに行ったことがあるのかい」

めずらしいねえ、とララが感心したように言った。この様子では、ララはルナのことを覚えていないらしい。

「ララ。ララは一度、ルナちゃんと会ったことがあるはずだ」

「え? いつだい?」

ララには覚えがなかった。

「真砂名神社で絵が焼けただろう――そのとき、真砂名神社にセルゲイといっしょに、ちっちゃな女の子が来なかったか」

ララは記憶を探った。クラウドは、ちっちゃな女の子、はさすがに可哀そうかと思ったが、(ルナはれっきとした成人女性である。)そういったほうが伝わりやすいときもある。ララは宙を見上げてぶつぶつと考えていたが、やがて――。

「いた。ちっちゃな女の子がいたねえ。あのとき、料亭まさなにも来た。栗色の長い髪の子だろう。真砂名神社に雷を落とした夜の神の生まれ変わりって男と一緒に――あ」

ララは素っ頓狂な声を上げた。

「あの子、良く考えたらサルーディーバやサルディオネとも知り合いだったね! なんだか友達みたいに喋っててさ!」

いまさら、その違和感に気付いたらしい。あのときは絵が焼けたショックで、ほかのことには一切気が回らなかったのだろう。

 

「何者なんだい、あの子」

ララの目が真剣になった。

「ナリはあの夜の神だっていう男と変わらない、L5系からL7系の恰好だった。そんな子が、どうしてサルーディーバたちと知り合いに? おまけに、サルーディーバ記念館から、絵を寄贈されるなんて……」

サルーディーバ記念館やサルーディーバと特別な縁故が? とララは聞いたが、クラウドは否定した。

「いや、ルナちゃんは正真正銘、L77で生活してきた普通の子だよ――まあちょっと、カオスなところがあるけど――宇宙船に乗ってからの彼女の数奇な人生は、直接本人から聞くか、サルディオネに聞いたらいい」

「サルディオネに?」

「ああ。ララが納得いく説明はしてくれるんじゃないかな。――ZOOカードのことも含めて」

クラウドがZOOカードと言った途端に、ララの思考回路に熱が灯ったようだった。

ララもクラウドも、互いに出方を探るように沈黙したが、やがてララが口を開いた。運ばれたコーヒーで口を湿らせてから。

「分かった。その子のことはアンジェに聞いてみよう。――ところで絵は、いつ渡してもらえるの」

「そのことなんだけどね」

クラウドは、いよいよ本題だというように、顎の下で両手を組んだ。

「まだ、渡せない」

 

ララが、ぎょろりと目玉を剥いた。龍の逆鱗に触れる、というのはこういうことかもしれない。さすがのクラウドもすこし肌が粟立ったが、ミシェルのためだ、引くわけにはいかない。

「すぐには渡せないっていうことかい」

「そういうことだ。――ララ、今日はアンジェラのガラス教室だ。覚えてる?」

どんな交換条件を出してくるかと、逆鱗をぶわりと膨らませたララは、予想外の言葉に驚いたのだろう。すっと怒りの気配が静まった。

「もちろん。ああ、そのことで、あんたに謝らなきゃいけないことが……」

「謝らなくていいんだ。アンジェラのガラス教室が、結局、おそまつな内容になってしまったってことだろ?」

ララは肩を竦めた。

「なんだ。知っているならいいよ」