ルナが皆の分のお茶を淹れてリビングに戻ってくると、アズラエルとクラウド、ピエトは席を外していた。エレナとミシェルは、アンジェラの画集ではなく、別の雑誌を開いていた。

「あれ――羊毛フェルト、入門?」

羊毛フェルトのマスコットのつくりかたを記した雑誌だ。

「いっしょに作ろうって、ミシェルちゃんが言ってくれて。本と材料を買ってきたんだ」

「エレナさんも、縫い物好きだっていうし、たぶんできるよ」

K37区の手芸屋さんで買ってきたという紙袋の中身は、羊毛フェルトのキットだった。ミシェルは、黄色と茶色の羊毛フェルト、エレナのほうは、黒猫が作れるキットだ。

「まあ――今回のお礼にね。クラウドにも作ってあげようと思って」

ミシェルは、ライオンのマスコットをつくるつもりらしい。

「講習会はアレだったけど、ララさんに頼んでくれたのはクラウドだし。けっこう心配もかけたと思う」

ソファに座ったふたりは、さっさとキットの袋を開け、中身を出し始めた。ミシェルが裁縫道具持ってくるから、ちょっと待ってて、と席を立つ。

 

リビングに、ルナと二人になったエレナが、待っていたように、「さっきミシェルちゃんにも話したけど」と呟いた。

 ルナは、宇宙船を降りることかな、と思ってドキリとしたが、

 「あとでさ、リズンに行こうよ。おやつの時間くらいに。それでね、ルナ、一緒にケーキを食べよう」

 エレナの目が、すこし潤んでいるように見えたのは、ルナの錯覚だったろうか。

 「真っ白なやつ。いちごの乗ったケーキ」

 それは、ルナとエレナが、ともだちになった日に、一緒に食べたケーキだった。

 「……うん」

 ルナは、自分も涙ぐみそうになりながら、頷いた。

 

 三時をすぎるまで、リビングで随分と和やかな時間を過ごした。

 エレナとミシェルはときおり何かしゃべりながら、フェルトを縫う手を止めなかったし、ルナはその傍で、ピエトにトランプの遊び方を教えていた。新聞を読むのに飽きたクラウドとアズラエルが割って入ってきて、大人気ないポーカーでピエトを打ち負かしたり。

 時計が三時半を指したあたりに、「そろそろ、リズンに行こうよ」とエレナが言った。

ふたりは作りかけのフェルトをしまい、ルナも、アズラエルがピエトに簡単なイカサマを教えようとしているので、その後頭部を叩きながらトランプを取り上げた。

 

六人でふたたびリズンに行くと、カフェテラスの席でルーイが待っていた。

「よ! 久しぶり」

そしてやはり、ピエトの顔を見て驚くのは恒例だ。アズラエルはもう面倒だったので、説明はクラウドに任せた。

人は午前中よりまばらだった。テーブルふたつをくっつけ、七人は席に着いた。ピエトだけミルクティーになったが、大人はコーヒー。そしていちごのショートケーキ。注文は決まっていた。

「ケーキってなに? もう夕ご飯?」

ピエトが聞くのに、ルナは微笑み、エレナが、「とっても美味しいものだよ」といった。

「幸せになれる味なの」

 

やがてケーキと飲み物が運ばれてきて、なぜかみんな、申し合わせたように「いただきます」と言った。

ふわふわのクリームをフォークですくったピエトは、最初は不審げに眺めていたが、口に入れた瞬間に「うめえ!」と叫んだ。

ピエトの歓声のおかげか、どこか神妙だったテーブルは、小さな笑いに包まれ、なごやかな空気を取り戻した。

エレナは、宇宙船を降りるということを、一度も口にしていない。ルーイもだ。ただ、なんとなく、ミシェルもクラウドも、エレナたちが宇宙船を降りることを知っているように、ルナには思えた。だがだれも、そのことを口にしなかった。

エレナは、じつに幸せそうにケーキを食べた。ケーキと同じように真っ白い頬を火照らせて。

 

「……あたしが、この宇宙船に乗ってから、一番つらかったときね」

エレナがぽつりと言った。

「一生懸命お金をためて、L7系に移り住んで、穏やかな暮らしをするんだって、それが支えだったの」

ルーイとクラウドとアズラエルは、三人で話をしていて、ピエトはケーキに夢中でこちらに意識は向いていない。エレナの話を聞いているのはルナとミシェルだけだ。

 

「ちっちゃな家に住んでさ、一ヶ月に一度、レストランでいちごの乗った真っ白なケーキを食べる。それが夢」

 

みんなと出会って、レストランじゃなくてもケーキ屋さんがあって、そこにもケーキがあるのを知って、ジュリとたくさんケーキを食べた。レオナとヴィアンカと、ケーキバイキングに行ったこともいい思い出だ。あの日は、びっくりするほどケーキを食べた。それでなくても、ルーイもグレンも、セルゲイもカレンも、エレナがケーキ好きなのを知っていて、よくケーキを買ってくれた。

宇宙船に乗ったばかりのころは、ケーキを食べることさえ特別で。そのうち、みんながエレナにケーキをくれるので、特別感は薄れて行った、とエレナは零した。

でも、この真っ白なケーキは特別ちゅうの特別。

エレナは言った。

「あたしに初めて、寝なくてもいい男の友達っていうのができた。そのとき、アズラエルがあたしに食べさせてくれたの。でもアズラエルはケーキを食べさせてくれたからといって、あたしの身体を要求したりとか、しなかった」

ミシェルもルナも、黙ってエレナの言葉を聞いた。

「信じられなかった。ミシェルもロイドも――クラウドもみんな。あたしに親切にしてくれて、仲良くしてくれるけど、身体は要求しない。不思議だったの、あのころはさ、」

エレナは、ルナとミシェル以外に自分の声が聞こえていないのを確認してから、最後にとっておいたいちごをぱくりとやった。

「……ルーイがね、あたしに言ったの」

 

――俺は、エレナを幸せにはできないかもしれない。

緊張で小さくなった大型犬は、それでも真摯にエレナを見つめて言った。

――エレナの幸せが、地球に行くことだったら、俺はエレナの幸せを取っちゃうことになるよな……。でも、俺は、何があってもエレナとセグと、毎月レストランに行って、ショートケーキを一緒に食べるっていう生活、約束する。

 

――だから、一緒に、来てほしい。