――さて、ここは、L20地下四階、心理作戦部。 普段から物々しい心理作戦部は、本日、一種奇妙な緊張感につつまれていた。 尋問部から響くくるおしい呻き声が今日はやんでいたし、廊下で立ち話をしている隊員もまったくといっていいほど見当たらない。――何より今日は、フライヤの訪問が、なかった。 今日は大事な用事があるからと、心理作戦部の隊長、アイリーンが、フライヤのいつもの訪問をなしにしたのだ。たいていの用事より、フライヤとのお茶の時間をたいせつにするアイリーンが、涙を呑んでフライヤよりも優先した相手――。 ほかならぬ、L20の首相、ミラである。 地下四階のエレベーターのドアが開き、物々しい警護の列が、先頭きって進みだした。エレベーターには、ミラを含む十人が――耐用人員十人ちょうどが乗っていた。ミラの後ろと前をしっかりと固め、いかめしい軍隊は薄暗い廊下をものいわず進み、隊長室のまえで止まった。 「おまえたちはここで」 いっせいの敬礼とともに、九人の軍人が、廊下横一列にならぶ。心理作戦部の隊員が、うやうやしく重い扉を開けた。 なかではアイリーンが直立不動の体勢で敬礼をしていた。 「ご苦労」 ミラは心理作戦部の隊員と、アイリーン両方に声をかけ、ゆうゆうと部屋を進み、アイリーンの席である、豪奢な椅子にゆるりと座った。それが合図で、隊員はドアを閉めた。 室内には、アイリーンとミラの、ふたりだけになる。 「このような場所にご足労いただき、申し訳ありません」 アイリーンの軽い会釈に、ミラが「構わん」と椅子のうえで足を組んだ。 ミラは心理作戦部隊長、アイリーンをずいぶん買っている。用事があれば、アイリーンがミラの執務室を訪れるのが慣例だが、ミラ自身が密に謀らねばならない用向きのために、みずから心理作戦部を訪れることがあった。それはミラの執務室ではできない、おそろしく内々の話であったり、表ざたにはしかねる内容のことが多かった。 「座れ」 ミラの指図で、アイリーンも用意しておいた椅子に座った。 「私もおまえに用事があったんだよ――エーリヒのほうはどうだった」 「それが――あれから、まるで行方が知れません。一説では、地球行き宇宙船に乗ったとか、」 「地球行き宇宙船?」 あくまで噂ですが、とアイリーンは前置きした。 「B班副隊長のベン・J・モーリスのゆくえも、おなじく知れません。休暇というのも、文字通り休暇ではないでしょうが、……ユージィンに消された、と考えるよりかは、目的があって姿を消していると考えた方がいいでしょう。B班も落ち着いたもんです。エーリヒとベンが消されたなら、ひと騒動確実にあります。あの落ち着きようは、ぶっそうなネタではない」 「そのネタの出どころは」 「ヤマトのアイゼン」 「ああ、ヤマトの傭兵か」 ミラもアイリーンも、アイゼンがヤマトのボスだということは知らない。アイゼンが、ヤマト所属の傭兵であることは知っているが。 「申し訳ありません。情報料として、多額の金を動かしました」 アイリーンがふたたび頭を下げると、ミラは首を振った。 「いいよ――おまえには、自由にやってもらいたい。あのエーリヒに、辺境の惑星群の資料を提出させただけでも、本来なら二階級は昇進ものだ」 「ありがとうございます」 「昇進させて、おまえを私の手元に置きたいもんだが、そうなれば、心理作戦部の隊長が居なくなってしまう――おまえという存在を、心理作戦部からなくしてしまうのもまた、人材の損失だ」 「もったいないお言葉です」 「――で。おまえの用事とはなんだ。先に済ませよう」 「実は――ですね」 アイリーンは、ためらいがちに口にした。 エーリヒが、辺境の惑星群のデータだといって、膨大な紙媒体とディスクの資料を、秘密裏にL20の心理作戦部へ送ってきたのは、二十日前のことだ。 L18の軍隊の機能がほぼ停止といっていい状況になり、L20とL19の軍隊の負担が増えた。L18の肩代わりに、L20が辺境の惑星群を担当することになったが、いままでL44から後半、またL8系の一部を主に担当していたL20には、辺境の惑星群のデータがあまりに少なかった。 それゆえ、L20は、いままで辺境の惑星群を主に担当してきたL18にデータの移譲を申し出ていたのだが、L18はなかなか承諾しなかった。 とくに心理作戦部のデータは、L20がのどから手が出るほど欲しいものだった。交渉にアイリーンが当たっていて、何度となく辺境の惑星群での戦争の危急をとき、データ受け渡しの要求をしていたのだが、心理作戦部は、これはL18であつめ、構築してきた貴重なデータだからと、頑として譲ろうとしなかった。 なのに。 あれほどのらりくらりとアイリーンをかわし、逃げていたエーリヒが、突如として情報の受け渡しを許諾した――というか一方的に送りつけてきた。 アイリーンは届いた資料をすぐさまミラに提出し、自身はL18へ飛んだ。 いままで、何度催促しても渡さなかった資料を渡す気になった理由はなんなのか。 L18で何か異変があったのか――。 アイリーンが数名の部下とともにL18の心理作戦部へ着くと、いつもアイリーンが来たと言えば椅子から三メートルは飛び上がって、机のかげに隠れるエーリヒが、ふつうに隊長室に座していた。 「資料は届いたかね」 エーリヒはアイリーンが苦手だが、アイリーンもエーリヒが嫌いだった。生理的にあわない相手というのは、あるものだ。 「届いた。――急に、どういうことだ。貴様はいままで、あれほど言っても紙切れの一枚すら渡しはしなかったのに」 「わざわざ足を運ばせて悪いんだけどね。いまここで、その話はできない」 アイリーンには、いつもビクつくエーリヒが、飄々とそんなことをのたまうのもアイリーンの気にくわなかったが、今キレては、肝心な話が聞けなくなる可能性もある。 「今は無理だと?」 「そう。――君におくったものは本気の本気で極秘裏だ。手紙に書いておいたように、マジもんで、ヒミツに、お願いする。――これがバレたら、私の首も飛ぶからね」 「……!?」 アイリーンは息をのんだ。 ――つまり。 L20に辺境の惑星群の資料を送ったのは、エーリヒの独断だ。L18の軍部に許可を得て送ったわけではない――そして。 おなじ心理作戦部の、ユージィンも知らない。 アイリーンはおもわず、目線を隣の壁に向けた。あのむこうに、ユージィンがいる。今この隊長室には、エーリヒとベンしかいない。 「相手がかしこいと、曖昧な言い方でもすぐ伝わるから助かる」 「……どういうつもりだ、貴様、」 アイリーンの顔が凶悪になっていくのを見て、エーリヒがすこし肩を震わせたが、 「私はね、休暇を取ったんだ」 まったく、関係のないことを言った。アイリーンの青筋が音を立てて弾けるまえに、エーリヒはあわてて言葉を繋ぐ。 「つまり、ここを離れたあとに、君に連絡をする。まあ、今回の、まあ、いろいろと……あれ……説明をね、」 「それまで待てということか」 「う、うん。そう。そのとおり……」 言って、エーリヒは無表情ではあったが、アイリーンをすくい上げるように見た。アイリーンは冷酷に目を細めると、自前の鞭で、バシーン! とエーリヒの机を叩いた。 「分かった、待とう」 エーリヒの表情筋が鋼鉄ばりに動かないものでなかったら、エーリヒは今頃泣き出していたに違いない。それだけエーリヒは、アイリーンが怖かった。 |