「これうまいな。L03の料理か?」

 アズラエルが、見たことのない野菜と生ハム、レモンのソースで和えられているサラダを摘まみながら言う。

 「ええ。わたしの住んでいた村ではよく作っていた伝統料理です」

 小さなテーブルには、ひき肉を半透明の皮で包んだものや、なんの卵かしれない卵と野菜を蒸したものなど、アズラエルには目新しい料理が、五、六品もならんでいる。

 「うまいぜ。俺の嫌いな味じゃない。あとでレシピ教えろよ」

 「喜んで。気に入っていただけて嬉しいですわ」

 「クラウドも食えよ、ほら」

 「……」

 返事はない、ふて腐れたライオンのようだ。

 

 カザマが料理の腕を振るってくれて、アズラエルが家にある酒を持ち出してきた。大人約二名は、うまい肴をつまみに酒を呷りっぱなしだったが、ピエトとカザマの娘――カザマが呼んだ――は、ちゃんとカザマのつくったシチューの昼食を食べた。

 エプロンを外しつつソファにかけたカザマは、勧められた酒は固辞したが、かわりにお茶を飲みつつ、リラックスした様子で、

 「ルナさんに感謝しなければ」

 隣室の、カザマの娘とピエトの楽しそうな様子を見つめていた。ふたりは、ゼラチンジャーのDVDを借りてきて、鑑賞会だ。

 「こんなにゆっくりした時間が持てたのは、久しぶりです」

 「ミンファも、ママの料理久しぶりだって喜んでたな」

 バグムントが笑うと、「ほんとうにそうなの」とカザマはくだけた口調になって、苦笑した。

 「娘に手料理を食べさせたのも、――かれこれ、半年ぶりよ」

 「……」

 

 派遣役員が多忙だというのは、アズラエルも知っている。カザマはほんとうに嬉しそうだった。彼女の言うとおり、手料理を作ったのも半年ぶりならば、日中、娘と同じ部屋で過ごすことも、そのくらい久しぶりなのだろう。

 ルナが仕事時間を奪った、多少強引な休憩時間。ふたりはすくなくとも、迷惑がってはいなかった。むしろ喜んでいる。こうした時間ができたことを。

 

「派遣役員って、そんなに忙しいのか」

アズラエルの質問に、バグムントとカザマは顔を見合わせ、

「忙しいといえば、忙しいですわね。でも、ひとによりけりです」

カザマからは当たり障りのないこたえが返ってき、

「傭兵と変わらねえよ――傭兵だって、ピンキリだろうが。手練れならいそがしくなる、才能のないやつは、ヒマなままだ」

バグムントは肩を竦めた。

「そういや、おまえ、ほんとになる気なのか、派遣役員」

 

バグムントの言葉に、GPSを注視しっぱなしだったクラウドがやっと顔を上げ、カザマも驚いてアズラエルを見遣り、本人――アズラエルは、苦虫をかみつぶした顔をした。

 

「あれは、あのときの話の流れだ。おまえだって、話続けなかったじゃねえかよ。べつになりてえ訳じゃ――ただ、派遣役員になるにはどうしたらいいかってのは――単に、興味でだな、」

「話を続けなかったのは、オルティスが割り込んできたからだよ」

「派遣役員になるには、まず第一の条件として、この宇宙船に、二年以上乗船しなければなりません」

横道にズレそうになったバグムントを押しやり、カザマが丁寧に説明してくれた。

 

「……地球にたどり着かなくても、なれるの」

いつのまにかクラウドがアズラエルの隣にいたから、アズラエルはびっくりした。

「ええ。たとえばクラウドさんが、今のご旅行で、最終的に地球に辿りつけずに宇宙船を降りられてしまっても、二年以上乗船しておられましたら、派遣役員の試験を受ける学校の、入校資格は得られます」

「おまえらは、去年の八月入船したから、来年の八月以降まで乗ったら、OKだ」

バグムントが付け足した。

 

「学校で三年の研修ののち、派遣役員の研修生となります。その後、初研修として、ベテランの派遣役員について三年の研修がございます。ベテラン役員と一緒に宇宙船に乗りまして、そのとき地球にたどり着けませんでしたら、もういちど、研修を最初からやり直しです」

「――つまり、研修生になってからにしろ、今にしろ、地球に到達するのが条件になっているのは確かなんだね?」

「ええ、そうです」

 

「“自分が地球に着けないのに、どうやって船客を地球に着かせるんだ?”」

バグムントが笑いながら言う。

「俺の初研修のときの、ベテラン役員が言った言葉だ――俺も言われたときは腹が立ってヤツを殴りたくなったが、まさにそのとおりだと思ったよ」

おおげさな身振りで酒を呷った。

「地球に着けないやつは、どこまでも着けない。理由は分からんが、そういうやつもいる」

「……。ええ、そういう方もおられます」

「おまえは、着けなかったのか」

アズラエルは、バグムントに、これを聞くのははじめてだということに気付いた。どうやって彼が役員になったのかを。

 

「俺は、初めて乗ったときは着けなくて、研修生になってから着いた」

バグムントは簡潔に説明を終えた。

「俺の話をくわしく聞きたきゃ、――せめて地球には着くんだな。なかなかねえぞ。傭兵や軍人の初乗りで、地球まで着くヤツってのは」

アズラエルも、それは納得のいく事実だった。退屈を持て余す生活を、傭兵や軍人が、耐え切れるわけがない。これが任務だと言われたら乗っていられるかもしれないが、べつに任務ではないのだ。

アズラエルもクラウドも、ルナとミシェルという理由がなければ、とっくに降りていることは明白だった。

 

「軍人や傭兵で、地球に着いたひとは、だれかいる?」

クラウドは、パンフレットには、軍人と傭兵の感想はひとつもなかったと言った。

「いるよ」

バグムントは頷いた。クラウドが身を乗り出す。

「退役軍人で足悪くした爺さん、あと、のたれ死に寸前を助けられた傭兵だったか」

バグムントは、それがオルティスだとは言わなかった。クラウドが、いかにもがっかりという様子で肩を竦め、ソファにもたれた。

「……つまり、まともに健康で、はたらき盛りの軍人や傭兵が、地球に着いたためしは、ないと」

クラウドが嘆息する。

ユキトとエリックのことは、今は話題に出さなかった。

エリックの著書には、「我らは、地球にたどり着く道程のうちに、革命への決意をかためた。しかし、私もユキトも、ほんとうは逃げたかった。地球に着いても、もうL18にはもどらず、革命のことも忘れて暮らしたいと願っていたのも事実である。」と書かれていた。

つまり、彼らは大きく迷っていたのだ。L18にはもどりたくない、けれど、革命へのおもいも捨てきることもできなかった。その迷いが、彼らの身動きをとめ、地球までつかせたのかもしれないとクラウドは思っていた。


「そりゃあ、千年も前までさかのぼれば、もしかしたらあるかもな。だが、俺が知ってる限りでは、少ないよ。ものすごくな」

「……」

クラウドとアズラエルが腕を組んで沈黙してしまったのを見て、カザマがバグムントをたしなめた。

 

「バグムント、敷居を高くするのは、いいことじゃないわ」

「高くなんかしてねえよ。事実をいったまでだ」

 

バグムントは、ふたりが地球に着けるとは、思っていないようだった。当然だ、かたや老舗の傭兵グループ、メフラー商社の稼ぎ頭で、片方は心理作戦部の副隊長。ほんとうなら、こんなところで油を売っているはずのないふたりである。

L18は政変があるかないかの噂があり、激動の時期をむかえている。

このふたりがたとえ、どんな強固な意志を持って地球にたどりつきたいと望んでいても、激動のL18がふたりを放っておかないだろう。メフラー商社にであれ、心理作戦部にであれ、呼び戻されるのはまちがいない。

ましてや、L系惑星群でメルヴァの所在がはっきりしたら、アズラエルは逮捕――あるいは殲滅を見届けるために、その場に赴くと言っている。

そうなれば、アズラエルが地球に着く可能性は、万に一つもないだろう。今メルヴァが見つかったとしても、宇宙船を降りてL系惑星群までいき、ふたたび宇宙船に戻るのにかかる期間は、はやくて六ヶ月。地球行き宇宙船を三ケ月離れたら、乗船資格はなくなる。それは、いかなる特殊な状況下でも同じだ。

 どんなに地球に行きたいと望んでも、不意の事態で降りねばならぬ船客を、バグムントも少なからず見てきたのである。