「まあ、心配すんじゃねえよ」

 バグムントは、二人を励ますように言った。

 「ルナちゃんもミシェルちゃんもな、おまえらが宇宙船を降りるときは、ちゃあんと着いてきてくれるって。あの子らは、けっこう骨があるぜ? 傭兵の奥方にもなれるし、心理作戦部の奥方にだって、」

 「バグムント!」

 カザマが憤然として叫んだ。


 「もってのほかよ! 船客を地球までたどり着かせるのが仕事の役員が、もうあきらめていてどうするの!」

 「俺は、常識の話をしてんだよ!」

 バグムントも、負けずに怒鳴り返した。

 「バーガスとレオナはな、俺も行けそうな気がする。あいつらはガキができたし、バーガスはのんびりしたヤツだからよ、船内の暮らしも楽しくやってるよ。だけどな、こいつらは別だ。ほんとなら、いまごろ宇宙船に乗ってるようなご身分じゃねえんだよ!」

 「それはあなたが決めることじゃないでしょう!? すべては真砂名の神のご意志よ!?」

 「あ〜やだやだ。これだからL03の奴らは。なにかあればすーぐマサナのカミ! カミサマがなんだってんだよ! カミサマがほんとにいるなら、こいつらを地球に着かせてみろってんだ!」

 

 「……言ったわね、バグムント」

 背後に火炎でも背負っていそうなカザマの仁王立ちに、怯んだのはバグムントではなくクラウドとアズラエルだった。

 「ルナさんが、“月を眺める子ウサギ”であるかぎり、彼女とその周辺の方はかならず地球にたどり着きます! そうなっているの! 見ていなさいバグムント! アズラエルさんとクラウドさんが地球に着いたとき、吠え面かかないようにね! ワンちゃん!」

 「ワンちゃ……」

 バグムントが絶句し、ぶほっとアズラエルが噴いた。クラウドも噴き出しそうになったが、ここから見える隣室のソファで、ピエトとカザマの娘がこちらを指さして笑っているのを見て、我慢するのはやめて、おおいに笑うことにした。

 

 「……てめえら、笑いすぎなんだよ」

 ふて腐れたワンちゃんがそこにいた。

 カザマが肩をいからせながらキッチンに氷を取りに行き、バグムントがボトルをグラスに傾けたが、一滴も落ちてこないことに舌打ちし、アズラエルに「床下だ」と言われて、カザマの後を追った。

 

 「いやあ――意外と」

 「ああ。合うんじゃねえか、あのふたり」

 クラウドもアズラエルも、仲人の趣味はなかったが、すこし、おせっかいをしたくなるふたりだった。

カザマとバグムントの掛け合いは、親しい者どうしのそれだ。誰にでも敬語をくずさないカザマが、バグムントとはけっこう、丁々発止のやりとりをする。それもユーモア満載の。

 カザマの娘であるミンファとも、バグムントは仲がよさそうだし、おそらく、プライベートでもつきあいがあるのではないだろうか。

 

 「……ミヒャエルって、独身だっけ」

 「バツいちだとは聞いてたな」

 「バグムントも独身だし、」

 「あのワンちゃんは、素直になれねえタイプか」

 「そうかも――バーガスと一緒で、若い子の機嫌は取るけど、あのタイプって、自分がほんとにリラックスできる相手には、素直になれないところがあるよね」

 

 ふたりでぼそぼそ話していると、急に天井から、ガタ、ガタン! と大きなものを動かす音が聞こえた。

 「なんだ?」

 おもわずアズラエルは天井を見上げた。

 アズラエルたちが居住しているマンションの二階は、だれも入っていないはずだった。

 

 「なんでしょう。お引越しかしら」

 カザマが氷と、キッチンに残っていたサラダの残りをもって戻ってきた。アズラエル秘蔵の酒を物色したバグムントも。

 インターフォンが鳴る。クラウドが出ると、「どうも、引っ越し業者です」と若い青年が、帽子を取って頭を下げた。

 「二階に誰か?」

 クラウドが聞くと、青年は頷き、

 「はい。午後六時ころまで、荷物の移動などで多少うるさくなりますが、ご容赦ください」

 

 「やっぱり、引越しだって」

 クラウドがソファに戻ってくるなり、言った。

 「二階の、二部屋とも埋まるみたい」

 このマンションは、一階に二部屋――アズラエルたちと、クラウドたちだけである。二階も三階も、二部屋ずつ――誰も、入っていなかった。

 「ヘンな奴じゃなきゃいいな」

 近所づきあいってのは、変なのが来るといろいろめんどうだ、とアズラエルは言った。

 「K27区ですからね。おそらく、お向かいのレイチェルさんたちのような若い方でしょうね」

 「引っ越す本人は来てなかったのか」

 「俺が見たのは、業者だけだよ」

 クラウドは、興味なさそうに言い、ふたたびGPSに視線をもどした。

 

 

 

 

 さて、ルナたちは、真砂名神社のふもとにいた。

 ルナとミシェルだけだったら、道沿いに並んだ店舗をひやかしていくところだったが、今日は同行者がいる。同行者は、まわりの店舗にはわき目もふらず、まっすぐ神社のほうへ歩いていく。

 ララもシグルスも足が速い。ルナだけが、へふへふ言いながらついていったが、神社の階段下まで来たところで、ララが旧知を見かけたのか、「おーい、じいさん!」と、川原のほうへ声をかけて、手を振っていた。

 ララのしぐさは、ひとをじいさん呼ばわりする資格もないくらいおっさんだった。

 

 「誰がじいさんじゃ!」

 離れたところにいたおじいさんは、ララの言葉に怒鳴ったが、こちらにこようとはしなかった。

 「あ――ルナ、あのひと、」

 ミシェルも気づいたようだ。

 ララが声をかけたのは、川原で絵を描いているおじいさんだった。彼は、ルナもミシェルも会ったことがある――この神社の神主さんだ。

 ルナがアズラエルとグレンとここへきて、階段を上ったとき、麦茶を持ってきてくれた神主おじいさん。

 

 「ジジイ! じいさん、聞いておくれよ! 船大工の兄弟の絵が、見つかったんだよ!」

 ララはずかずかと川原のほうへ歩いて行った。シグルスもそちらへ向かったので、ルナとミシェルもあわてて追った。

 

やっぱり、あの神主おじいさんだった。油絵の具に汚れた作務衣を着てはいるが、まちがいなく、あの神主さん。

 

 「ジジイとはなんじゃ。礼儀も知らん若造め」

 このおじいさんは、ずいぶんと言葉は乱暴で、しかもけっこう訛りのはいった共通語を話すため、きつく聞こえるが、いつも表情は優しい。

 ミシェルは傍まで来て、目を見張った。おじいさんが描いているのは油彩画だ。川原と、その向こう側の林を描いている。彼の筆力は相当なものだ。絵は、精巧な写真のようだった。

 

 「すてき」

 ミシェルが思わず言うと、

 「上手いか?」

 おじいさんが聞いてきた。ほんとうに写真の様だったので、ミシェルもルナも、大きくうなずくと、

 「ほうか、ほうか。嬉しいのう」

 と笑った。