「聞けよじいさん! 船大工の絵がだな……、」 「聞いとるよ。絵キチガイめ。いつ持ってくるんじゃ」 「ほんものかどうか、調べてからだね。ま、本物なのは分かってるけど、そういう手続きは取らないとね――L55に申請するにはね。信憑性ってやつは、ほんとにめんどうだよ」 おじいさんはこたえずに筆を動かす。 「じいさん、あんたも個展開きなよ。あたしが手配してあげるからさ」 「毎回断っとるじゃろ。懲りん奴じゃな」 「ったく頑固なジジイだよ。あんたもいい絵を描いてると、あたしは思うのにさ」 「おまえさんに褒められても、ちいとも嬉しゅうないわい」 ララは表現しようもない、どうしようもない悪態をついて、 「まあ、そのうち絵を持ってくるからよろしくね。――行こうか、ルーシー、ミシェル、ギャラリーへ――」 と、ふたりを促したところで、電話が鳴った。ララの笑顔が歪むのを、ルナもミシェルも見た。シグルスが出て、二三受け答えした後、さっとララに差し出してきた。 「オークリー様です」 「ええ?」 ララはかなり嫌そうな顔をしたが、それでも電話に出た。ルナたちから離れたところで、大声で会話している。川のせせらぎで、話していることは定かではなかったが、ルナは、ララは会社へ戻らなければいけないのかもと考えた。 ルナの予想は当たった。 ララが、ものすごいしかめっ面でルナたちのもとへ戻ってくる。 「ああ――ルーシー! ミシェル!」 ララはせつない顔で、大げさにふたりを抱きしめた。「むぎゅっ!」ルナとミシェルが、またも潰された小動物のような悲鳴をあげる。 「あたし、帰らなきゃいけないよ。仕事に戻らなきゃ――あんたたちを置いてさ、」 「さっさと帰ったらどうじゃ」 「うっせえよジジイ!!」 さりげないおじいさんのツッコミに、ララは牙をむいて怒鳴った。 「いっしょに来る? 来ないかい――今夜は、リリザのフルコースを食べさせてあげるよ。肉はいや? なら魚。マルカのめずらしい魚でフルコースを――地球色にきらめくシャンパンなんかとどうだい? 夜景とショーを見ながらさ――ドレスも買ってあげる。欲しい宝石はない? 欲しい車は?」 「ララ」 シグルスが、容赦なく告げた。 「お時間です」 「どいつもこいつも!!」 ララは吠えた。 「あたしの貴重な時間を奪ってなにが楽しいんだい――!? ああ、もう、またすぐ会おうね、招待するよ、あたしの屋敷に。あたしのかわいいルーシー、愛するミシェル――」 ララは、二人の唇にいっかいずつチュッチュとやって、すっくと立った。 「ああ、仕事仕事!! これもルーシーとミシェルに贅沢させるためだと思えば、張り合いがあるさ!」 ギャラリーにはいつ入ってもいいからね! と、ミシェルにもう一回余計なキスをして、猛然とこの場を後にするララを横目で見ながら、シグルスはルナとミシェルに言った。 「お騒がせしました」 ほんとにお騒がせだとはルナとミシェルは言わなかったが、おじいさんは言った。 「ほんとに騒がしいやつじゃ」 シグルスは笑い、 「お渡ししたカードで、シャインを使用して帰れますので。シリアルナンバーは、カードに記載があります。番号は、K27―05と押してください。リズンのまえの、公園に出られますから」 「……あんなとこに、シャインの入り口があったんだ」 ルナはカードを見つめながら呟いたが、 「ええ。スーパーマーケットにもシャインはありますが、おふたりのお住まいには、リズンのほうが近いかと。もしシャインの使用がご不安でしたら、わたしがご一緒させていただきます。ご自宅にお送りしますが――」 「あ、だいじょうぶです。あたし、分かります!」 ミシェルの言葉に、シグルスはにっこりと笑った。 「そうですか。では、本日はこれでわたしも失礼させていただきます。絵を、ほんとうにありがとうございました。……どうか、今日に懲りず、またララ様のお相手をしてやってくださいませ」 ルナとミシェルは口を開けたが、シグルスは、「ではご老公、失礼いたします」とおじいさんに挨拶をして、戻って行った。 「ああ、またな」 神主おじいさんは筆をフリフリ、シグルスの背を見送った。 ルナとミシェルも、今日は怒涛の一日だったなあ、と感慨深く、ララとシグルスが去って行ったほうをながめた。 ふたりとも、嵐が過ぎ去ったあとのようにしばらく呆然としていたわけだが、うしろから、カタカタと音がするので振り返ると、おじいさんが、絵の道具を片付け始めていた。 「おじいちゃん、帰っちゃうの」 ミシェルが聞くと、「ああ、そろそろやめようかと思うて――」 傍らの袋から、きれいな半透明の和紙に包まれた、花形の餡菓子を取り出し、ミシェルとルナに差し出した。 「ん。食わんか」 「あ、ありがとう……」 「ありがとございます!」 ルナとミシェルは礼を言って、受け取った。 「みっつしかないもんだから、あいつらにはやらん」 おじいさんはそう笑って、菓子を頬張った。ルナとミシェルも、夕焼けに赤く染まる川原を眺めながら、菓子を口にした。 「おじいちゃん、いつもここで絵を描いてるの」 ミシェルがなごやかな沈黙のなかで聞くと、「うん。用事がなきゃあ、午後から、今時間までここで描いとる」と彼は言った。 ミシェルが俯きながら、言おうかどうしようか迷っていると、おじいさんのほうが先に口を開いた。まるで、ミシェルの思いを汲んだかのように。 「うん。いつ来てもええぞ」 「え?」 「わしはいつでもここにおるから、画版さえ持ってこりゃあ、イーゼルもあるし、絵の具もそれなりにゃあ、あるよ」 「き……来てもいいの?」 「かまわんよ」 おじいさんは、食べ終えた紙くずを袋に入れて、鷹揚にうなずいた。ミシェルが油絵を描けるかどうかは、問題にしていないようだ。 ルナの記憶では、ミシェルは、油彩をやったことがない。でも、おじいさんの言い方では、まるでミシェルも一緒に描こうと誘っているようだ。 「やった! おじいちゃん、ありがとう! あたし、ミシェルって言います! ミシェル・B・パーカー。よろしくね!」 ミシェルは大喜びで、おじいさんの手を取って言った。 ルナはぽかんと口を開けていたが、おじいさんは、ルナのほうを見ていた。ルナの自己紹介も待っているようだったので、ルナはあわてて言った。 そういえば、何回か会っているのに、互いに名前も知らないのだ。 「あっ、ルナです。あたしルナ! ルナ・D・バーントシェントです!」 「ルナと、ミシェルか」 おじいさんはちゃんと覚えるように復唱し――次に出てきたおじいさんの名に、ルナはギャラリーに寄ることも、みんなへのおみやげを買うことも忘れて、家路に着くことなる。 「わしは、イシュマール・アストロイ・マーサ・ジャ・ハーナ・サルーディーバじゃ。――まあ、長いから、じいさんでいいわい。よろしくな」 |