ルナが、口をぽかっと開けてシャイン・システムのまえで佇んでいる間に、ミシェルが買い物をすませてきた。

「カザマさんとバグムントさんにお礼するんでしょ」

「え――あ――うん――」

ルナは心ここにあらずだ。ミシェルが気を利かせて買ってきたのは、バグムントには日本酒、カザマとピエトには、おじいさんからもらったのと同じ、花形の菓子の詰め合わせだった。

「あ――ミシェル、ありがと――」

ルナがそそくさとバッグに手を突っ込むと、

「ピエトの分はいいわ。あたしが出すね。カザマさんとバグムントさん、ふたりのぶんだけ、ちょうだい」

ルナは呆然としたまま、三千デルをミシェルに渡した。

 

結局、ふたりはギャラリーに立ち寄ってくることはしなかった。ミシェルもルナも、今日は最初から、なるべく早く帰るつもりだったし、シャイン・システムがいつでもつかえるカードをもらったからには、このK05区とて近所になってしまった。ギャラリーにはいつでも来られると思ったためである。

ミシェルは呆然自失しているルナを引っ張りながら、神社とおじいさんに、「また来るねーっ!」とおおきい声で挨拶をして、商店街のほうまで来た。

 

ミシェルがさっさとシャインのまえに立って、システムを起動しているのを見ながら、ルナの頭の中はおじいさんの名前でいっぱいだった。

 

(いしゅまーる? まーさ・じゃ・はーな……さるーでぃーば……)

 

どこをとっても突っ込みどころ満載のなまえに、ルナのうさぎ脳はショートしていた。

くらげのように漂うままのルナをシャインに押し込み、次の瞬間にはそこから出し、ミシェルは一瞬で辿りついた、リズンまえの公園を見渡した。

ずっと、物置だと思っていた小さな建物は、シャイン・システムの出入り口だったのか。

 

「へ〜、ここに出るんだね」

ルナは返事をしない。まさに宙を見つめているくらげだ。

「ねえ、ルナ。さっきからあたしの話聞いてる?」

「……」

「ルナってば!」

ミシェルが、たまりかねてルナを呼んだ。ルナはやっと、宇宙空間のくらげから、いつものうさぎに戻った。

「さっきも言ったけど、クラウドとアズラエルには内緒ね! ――ララさんの、その、キスしたこと!」

「――!!」

ルナはうさぎから、人語を解するうさぎに進化した。顔を赤らめ、「う、うん! わかった!!」とすごい勢いでうなずいた。

ララにチュッチュされたことを、あの二匹の猛獣にバレようものなら、どんなことになるか分からない――それはルナも、嫌というほどわかっている。

 

「内緒ね!!」

「う、うん!! ないしょだ!!」

うさぎと猫はなぜかスクラムを組んでうなずきあった。その様子をリズンの外から見ていたアントニオが、(なんでスクラムを……)と疑問に思っていたことは割愛する。

 

 

 

 

――うさぎと猫は、時間通りに――いや、約束の時間まえに帰ったはずだった。

マンションの外で、彼氏たちは待ち構えていた。腕を組んで、不機嫌そうに。

 

「ただいま!」

「……ただいま」

ミシェルは元気よくいい、ルナはおずおずと言った。

「だいじょうぶ? なにもなかった?」

クラウドはやさしく聞いてくれたが、アズラエルは無言だ。相当、機嫌が悪かった。ルナは今朝、調子に乗り過ぎたことをあやまろうとしたが、クラウドがさえぎった。

「アズが怒ってるのは、ルナちゃんのことじゃないよ」

クラウドの声には、怒りはこもっていなかったが、嘆息は幾分かふくまれていた。

「また、賑やかになりそう」

「にぎやかって?」

 

次の瞬間、ルナの頭からは、おじいさんの名前が吹っ飛んだ。

ジュリが、満面の笑顔でこちらに走ってきたからだ。

 

「ルナちゃあん! ミシェルちゃあん!!」

「ジュリさん!?」

 

ジュリだけではない――グレンと、セルゲイと、カレンも、そのうしろからついてきたではないか。

 

「引っ越してきちゃった!!」

ジュリのひとことに、アズラエルの眉間がますます絞り上げられ、「引っ越し!?」とルナとミシェルも絶叫した。

 

「アンタたちのマンションの二階に。これからよろしくね」

カレンがウィンクし、グレンが、「ルナ! これからはずっと一緒だぜ!」とルナを抱きしめようとしたので、やはり猛獣対決が勃発した。

「なんでてめえまで越してくるんだよ!! どうせこの地区じゃ浮くんだから、もといた巣にもどれ! ハゲ虎ヤロウ!!」

ここは俺のナワバリだと主張するライオンに、

「どこに住もうが俺の自由だ。てめえこそ古巣に帰れ!」

おとなげないトラの遠吠え。セルゲイが、割って入った。

「ルナちゃんたちに迷惑をかけるのはなしだよ! そういうつもりで来たんじゃないんだから。――ごめんね、ほんとうに。騒がしいけど、これからよろしくね、ルナちゃん、ミシェルちゃん」

セルゲイが苦笑気味に手を差し出したので、ミシェルは「は、はあ――」と事態についていけない思いで握手をし、「うん! よろしく!」とルナはうれしそうに、両手でセルゲイの手を握ったので、セルゲイは猛獣二匹のうらみを買うことになった。



「あっ、カザマさん、バグムントさん、今日はありがとうございました!」

ミシェルはおみやげを、ふたりに差し出しながら言った。

「いいえ。ひさしぶりにゆっくりできたんです。こちらこそお礼を言わなければ――あら、紅葉庵のお菓子」

カザマの娘のミンファが、お菓子を受け取って「ありがと」と小さく頭を下げた。

「ミヤゲなんかいいっていったのによう。悪いな」

バグムントは、包装紙を見て酒だとわかったのか、うれしそうだ。

 

「ルナあ! おかえり! あいつら誰だ!?」

ピエトもさっそくルナに飛びついてきた。

「う、うん――あいつらは――それよりちゃんと薬飲んだ? ごはんたべた?」

「うん! カザマのつくったメシ食った! 薬も飲んだ!」

「こら! カザマさん、でしょ!」

ルナが窘めると、ピエトはバツが悪そうに「カザマさん」といい直した。

ルナは自分をお母さんと呼ばせる気はないが――お母さん、に値するのは事実、メリッサなので――自分をルナと呼ぶのは承認している。だが、誰もかれも呼び捨てにするのはいただけない。アズラエルも、ピエトが「アズラエル」と呼ぶのを特に窘めないし、クラウドもそうだ。ミシェルだけはちゃんと「ミシェル姉ちゃん」と呼べと厳命してあるのでピエトはそうするが、注意しなければ、ピエトはいつも、だれでも呼び捨てにしてしまう。

カザマは気を悪くしてはいないが、ここは躾のしどころかな、とルナは頬っぺたを膨らませた。

 

「カザマさん、ごはんつくってくれたんですか? す、すみません……」

「だいじょうぶですよ。お料理も久しぶりで。たのしかったわ」

「シチュー、旨かった!」

ピエトは叫んで、ルナの背にさっとかくれてカザマのほうを見た。カザマは微笑み、

「よかった。――サラダを作り過ぎてしまって。冷蔵庫にいれさせていただきました。よろしかったら、あとで召し上がって」

「はい! ありがとうカザマさん!」

「いえいえ――それより、また、賑やかになりそうですわね」

 

目線の先には、いがみ合う猛獣たちをはじめとする、実にやかましい集団がいた。

 カザマは微笑んでいたが、ルナには、前途多難、という文字しか思い浮かばない。

 

「……だ、だいじょうぶかな」

ミシェルも同様だったようで、頬をヒクつかせながらつぶやいた。

 でも、この引越しのどさくさにまぎれて、ララのことは追及されなかったので、ルナとミシェルもほっと胸をなでおろしたのだった。