九十九話 布被りのペガサス W



 

「――え? 辺境の惑星群についての、レポートですか?」

 

L20陸軍本部、庶務部――は相変わらずだった。

フライヤが出勤してきて見る光景は、最初と何らかわってはいない。ドアを開けて「おはようございます」の返事にかえってくるのは管理官の「おはようさん」だけ。庶務部の皆はひとところに固まって、朝から女子トークとお菓子をたべることに精を出していた。

 フライヤは自分のデスクに一度座ってバッグを置き、それから管理官のもとへ行って、「仕事、なにかないですか」と聞くのが日課。

たいてい、「今日はないねえ」といわれるのがオチで、あれば書類のコピーが二、三。なければフライヤはデスクにもどり、ヒマを潰すのが仕事。午後からは、アイリーンとのお茶会が待っている。

今日も、そんな一日になるはずだった。

 

いつもどおり、「仕事、なにかないですか」とデスク前に立ったフライヤに差し出されたのは、大判の封筒だった。

 

「うん。辺境の惑星群についてのレポートを提出するように、全部署に通達があってね」

おじいさん管理官は、のんびりと、どうでもいいような口調で言った。

「びっくりしたなあ。庶務部にも来るなんて。でもまあ、全部署だから、しかたないか。フライヤさん、適当に書いといてくれるか。できたら作戦立案部のほうへ持っていってくれれば――ああ、場所は、行くとき教えるね」

管理官は、「わたしのサインは、もう入れといたから」と言って、あとは興味なさげに自分のデスクに目を落とした。週刊誌を読んでいる。

 

「――はい」

フライヤもぼんやりとした返事をかえして――こちらは、「辺境の惑星群」という語句に、脳の全細胞が持って行かれたせいなのだが――封筒に目を奪われたまま自分のデスクにもどり、焦った手で封筒の中身を机上にぶちまけた。

封筒に入っていた紙は三枚、一枚は、このレポート提出の主旨、要項が書かれていて、もう一枚は、罫線のみの白紙だ。この用紙に記入せよということか。

フライヤは、主旨を、目を皿のようにして読んだ。五回も読んだ。

そこには、L20の首相、ミラが直々に書いたという一文があり、フライヤの目を何度も往復させた。

 

――昨今の軍事惑星の変革期により、L20の軍事負担が増大している。また、辺境の惑星群においてのわが軍の不利も、由々しき事態である。周知とは思うが、ガルダ砂漠の戦後処理以降、L20がL03の原住民の反乱を鎮めに向かっている。辺境の惑星群にうといわが軍の劣勢は如何ともしがたい。なかでも二月前の、エラドラシスの戦争は、かつて原住民との戦の初期に見るような――むごい戦となったことをここに記しておく。

 

 フライヤは、反射で三枚目の用紙を見――凍りついた。

 (なに、これ)

 

 三枚目の用紙は、そのふたつきまえの戦争「エラドラシスの戦い」の顛末を記したものだ。写真入りの、戦争記録にフライヤは口を覆った。

 

 L03のエラドラシス地区の戦で、L20の軍隊は、負けた。

それはフライヤも知っている。L20の軍隊に所属している者なら知らぬはずはない。だが、詳細はしらされていなかった。フライヤは、その理由を、この三枚目の用紙を見てさとった。

負け戦の原因は、L20の、辺境の惑星群の情報が少なかったといえばそうなのだが――フライヤは目をそらしたくなるむごい写真に、しかし釘付けになったまま硬直した。

 

 どのくらい、そうしていただろう――写真は、つかまったL20の兵士の、末路だった。

 

 (こんな映像――公にはできないわ)

 写真におさめられているということは、彼らは、なきがらだけでも救出されたのか。

 ニュースにならなかったのは、これを撮ったジャーナリストにかん口令を敷いたか。これが公になれば、L20のなかで、辺境の惑星群への恐怖だけが独り歩きして、L03にのこったL18の軍を撤収するのもむずかしくなる。

 兵士の士気も下がる一方だろう。

 

 (でも、あえてこれを軍内だけでも公開したのだということは)

 

 いよいよ、軍部もせっぱつまっているのだろう。

 

  ――エラドラシス地区は、むずかしい。

 フライヤは三枚目の紙を握りしめたまま、思った。

エラドラシス、ラグバダ、アノール、ケトゥインの部族が混在していて、彼らの間でも地区の所有権が争われていて、そのなかにも穏健派と過激派がある。地球人の軍隊に対して、アノールがケトゥインと手を組んでみたり、エラドラシスと組んでみたり、翌日には敵になったりする。

 地区ごとに、部族の混在や、その関係の複雑さはL8系や4系も変わらないのだが、L20は辺境の惑星群には不慣れだ。その土地にはその土地のふくざつな部族関係がある。L20は、ながく対応してきたL8系やL4系の地区事情はわかっても、L03の土地のことはわからない。

 

 ――情報収集が、間に合わなかったのだ。

 

 フライヤは、唇を噛んだ。

 L20は軍隊をうごかすまえに、奇襲をかけられて壊滅した。休戦要求も受け入れられなかった。L20は、L03にのこったL18の軍隊を完全にひかせるために向かった。戦争にいったというより、防衛に近かった。だが軍を置いた位置が彼らの聖地に近かった。不可侵の場所に軍を置いてしまったのだ。そのため、敵襲と勘違いされて襲われた――。

 

 書類には、エラドラシスのむごたらしい儀式によって殺されたと書かれているが、違う。フライヤにはわかった。これは、きっとケトゥインのしわざだ。

 エラドラシスと長年敵対関係をつづけてきたケトゥインのしわざ。なぜなら――エラドラシスの部族は、女に敬意をはらう。敵であれ、女性にはいっさい手を出さない。なのに、このむごい光景は、女ばかりを選んで行われている――。

 

 (どうして)

 

 L03の歴史研究家も、原住民部族研究家も、L03のもと王宮護衛兵も軍部には招かれていると聞いた。どうして、かれらがこの程度のことを知らないはずはないのに、どうしてこんな結果になってしまったのか。

 

 フライヤの手の中で、くしゃりと紙が捩れた。フライヤの掌から用紙に染み込んだ汗は――恐怖によるものだったか、くやしさによるものだったか、フライヤ自身にもわからなかった。

 

 (シンシア)

 

 無意識のうちにフライヤは、かつての親友の名を呼んでいた。

 

 (あたしはもう――怯えてばかりで何もせずに、蚊帳の外になるのはいや)

 

 フライヤは頭を覆い、――パソコンを睨んだ。そして、この部署にきてはじめて、デスクに置いてある電話機の受話器を、ひっつかんだ。

 

 「……もしもし? アイリーン?」

 『やあ。どうしたの、フライヤ』

 「あの……ごめんね。あたし今日、そっちに行けないかも」

 そっちとは、心理作戦部のことだ。

 『何か用事が?』

 アイリーンの声はすこし残念そうだったが、聞いてから、おもいついたように付け加えた。

 『ああ、もしかして、全部署提出のレポートが、行ったかい』

 「うん」

 『なるほど……。じゃあ、来れないだろうな』

 

 アイリーンは、庶務部が怠け者の巣窟で、フライヤしか仕事をしないことを知っている。

 もちろん、フライヤが、――辺境の惑星群について、やたらとくわしいということも。

 

 『一週間――一週間後かな。提出期限はたしかそのあたりだったな。それまで、お茶会は我慢、か』

 アイリーンの実に残念そうな嘆息が聞こえたが、彼女はフライヤがあやまるまえに、励ましてくれた。

 『がんばりな。僕は応援しているよ、全力を尽くすんだ』

 「――ありがと、アイリーン」

 

 アイリーンは、まるでフライヤの決意を見抜いたようだった。フライヤがやろうとしていることも。

 用紙はたった一枚きり。フライヤがL03の情報で一枚きりの用紙を埋めるのに、そう時間はかからない。だが、アイリーンは、一週間後、といった。

 フライヤが、一週間丸々つかって、提出書類を用意しようとしていることを、見抜いたような言い方だった。