ルナたちが中央区に着いたのは、昼前だ。

ルナとミシェルはタクシーを飛び降り、まっすぐ中央区役所に入った。

「どうする、ルナ。絵を保管所から出してもらう?」

「待って。まずララさんに電話してからにしよう」

ルナは、ひろいロビーにある公衆電話で、緊張しながらララの携帯電話に電話をかけた。

 

『――もしもし、』

ワンコールで繋がった。涼やかな男の声が、電話向こうから聞こえた。ルナは思わず、

「こんにちは!」

とすこし大きい声を出してしまった。

「ラ、ララさんの携帯でしょうか」

相手は不審な声で『そうですが』と言った。

「あたしは、ルナ・D・バーントシェントといいます。船大工の兄弟の絵のことで、おはなしが――」

 

『ルーシー!?』

 

最初に出た声ではなく、もっと低くてハスキーにも聞こえる声が、ルナの耳を絶叫でつんざいた。

また、ルーシーと呼ばれた――ルナは驚いたが、

「る、るなです……」

と訂正するのを忘れなかった。

 

『お、驚いた……今の声……ほんとにルーシーかと思った……』

電話口で、呆然自失、といったぼやき。ルナも続く言葉をなくした。


『……』

電話向こうからは何の声も聞こえない。沈黙がつづいた。ルナは焦って、

「あ、あの、船大工の絵のことで……」

『ああ、うん、ちょっと待っておくれ』

ふたりめの声の持ち主が、早口で言った。ルナはだまった。相手は、電話口にいないのではなくて、電話の向こうでだれかと話しているのだ。

やがて、『悪いね』とさっきの絶叫とはかけ離れた冷静な声が、ルナの耳にとどいた。

 

『船大工の兄弟の絵の件だね? 聞いているよ。あなたが正当な所持者だってね――クラウドじゃなく――ルナさん』

「あ、はい」

ルナは、この声がララだと分かった。

『悪いねほんとうに。あたしゃ、今会議中でね――大事な会議だから、すぐには抜けられない。ほんとうはいますぐここを立ちたいんだ。ほんとうだよ。それでね、申し訳ないついでにお願いがある。船大工の絵を持って、K13区のルーシー&ビアード美術館まで来てもらえないか。あたしはいま、そこにいるんだよ』

「え?」

『あなたのサインが必要だろうから、銀行の保管所には行ってもらって。絵を運ぶ手配は、こっちでシグルスが――秘書が、電話ですませるから、むずかしいことは何もないよ。あなたはタクシーにでも乗って、美術館に来ておくれ。会議が終わってからあたしが出向くより、きてもらった方が早い。――どうか、頼むよ』

「あ、わ、分かりました」

ルナが承諾すると、電話は切れた。

「どうだった?」

ミシェルがすかさず聞いてきたので、ルナは「美術館に来いって」と、ララに言われたことをそのまま、ミシェルにつたえた。ミシェルは美術館と聞いて、顔を輝かせる。

 

「ルーシー&ビアード美術館、あそこ、地球時代からの絵画が多くてサイコーなの。宇宙船の中でいちばん大きい美術館だよ!」

「ほんと!?」

ルナは自分では描かないが、絵を見るのは好きだった。ほんとうは、アズラエルの一ヶ月旅行計画には、この美術館も入っていたのだ。結局、行けなかったのだが。

「ピカソとか、ルノワールとか、ゴッホとかね……三ヶ月くらいの頻度でかわってるの。あたし、このあいだも行ったよ」

「え? いつ?」

「ほら、ルナたちが一ヶ月の旅行にでかけたとき。あたしとクラウドはさ、あそこ寄ってから真砂名神社に行ったの。あたしが行ったときはフェルメールとモネだった」

すっごい素敵だった! と興奮気味に話すミシェルに、ルナもウキウキしてきた。

「よし、行こう!」

「行こう!」

 

まったく、この二匹の小動物たちは、またしても本来の目的を忘れるところだった。クラウドとアズラエルが傍にいたら、あきれかえっていたであろうことは明白である。

ミシェルとルナは、タクシーに乗り込んでから、手続きを忘れたのに気付いて、あわてて区役所内にひきかえした。

 

うっかりうさぎとうっかり子猫は、なんとか手続きを済ませて、今度はしずしずとタクシーに乗り、K13区のルーシー&ビアード美術館に到着した。

 

美術館は、広大な敷地の中にある。花々と、緑鮮やかな芝生に囲まれた大道路が、まっすぐ美術館の入り口まで通っていた。

建物もアシンメトリーの城のようで、目の錯覚を利用をした部分もある、かわった格好の造形だ。この美術館は、建物そのものが、芸術家の作品なのだ。計算され、剪定された芝生の庭までもが。

この美術館に来たものがまず注目するのは、五メートルはあろうかという門構えの後ろに佇む、おおきな銅像だった。来たものを迎えるように、長の年月、立ち続けてきた銅像――うつくしく磨かれ、苔の一つも生えてはいなかった。

左はスーツ姿の紳士で、右はドレス姿の貴婦人。

銅像の足元に掲げられた、名を刻んだ石碑は、ルナにも読めた。

 

男性の方は、「ビアード・E・カテュス」。

女性の方は、「ルーシー・L・ウィルキンソン」。

 

(ルーシーだ)

 

ルナは今朝から聞き続けているその名に、注目せざるを得なかった。

「ルナ、ルーシーだよ」

ミシェルも言った。

「うん。ルーシーだ」

 

「ルーシーさんは、この地球行き宇宙船創設時の株主さんで、美術館の建設に多額の投資をした、宝石商ですよ。で、ビアードさんは、美術館建設の、総責任者」

タクシーの運転手さんが、解説してくれた。

「美術館の中に、この美術館ができるまでの歴史が展示された部屋があります。そこは無料で入れますから、ぜひご観覧ください」

ルナは「はい!」と勢いよく返事をした。

「まえ来たとき、その展示室も行ってみたかったんだけど、ほかにも回るところがあったから、行かなかったの。今日は見て来ようね」

ミシェルも、行く気満々だった。

 

すでに中央区役所のトラックが、美術館の入り口に停車していた。ルナたちより早く、絵は美術館に届いたことになる。

ルナとミシェルはあわてて館内にはいり、さっきの中央区役所にも劣らない広いロビーで、ララを探したが、それらしき姿は見当たらない。トラックの業者は、布で包まれた絵を、二階のほうへ運んでいく。ルナとミシェルもそれを追った。業者は、二階のとある展示室のまえで絵をおろし、ルナにサインを求め、ルナがサインした後はすぐ去って行った。

 

「ルナ、三階の展示ルーム、きょうはピカソだったね」

ミシェルはうずうずとしている。ルナは笑って、

「あたしが待ってるから、ミシェルは見てきてもいいよ」

といった。

「マジ!? ごめんルナ、マジ感謝!!」

三階の展示室が閉まるのは三時とはやい。ララと話をしていたら、もしかしたら間に合わないかもしれない。そう思ったのだった。