「ルーシーも、仕事に夢中になると、いつもそうだった。サンドイッチを齧りながら書類をめくってね――ルーシーはえびとアボカドの組み合わせと、卵とハムが好きで――ソースを唇にくっつけて――知らずに。しっかりしたひとだったけれど、たまにうっかりさんなところがあってね――もう、可愛らしくて可愛らしくて……」

ララがちょいちょい、とルナの頬をつつく。ルナはスコーンを持ったまま固まっていた。

「わたしがどれだけ拭ってあげたかったか! でもいつも――あの銀色ハゲが! 『ルーシー、ついていますよ』なんて、わたしを遮って! ルーシーについてまわるしか能のなかった銀色ハゲ!」

ミシェルはなにも口に入れるべきではなかった。さっきの衝撃に、あわてて口に含んだ紅茶が今度は気管に入って噎せた。

「ルーシーはね、わたしを一番愛していたんだよ。わたしの願いはなんでもかなえてくれたからね。愛人をつくった夫も、マフィアの男も、銀色ハゲのことも、ルーシーは嫌いだった。あの銀色ハゲは、最終的にルーシーにプロポーズしたけどフラれたし。いい気味だ。ああ、でもあいつは、ルーシーといっしょに逝った。羨ましすぎて、腸が煮えくり返ったね!」

「……」

ルナとミシェルにも、グレンの盛大なくしゃみが聞こえるようだった。

 

「はあ……ルーシー。わたしの可愛いルーシー」

「え、えええええっと、あの、あのですね……」

ルナが食われる。

危機を察知したミシェルはおもわず口を挟んでしまったが、ララはルナを抱きしめたまま、「なんだい、わたしのミシェル」と言った。

いつのまにかミシェルもララの所有物になっていたようだ――ミシェルは、一センチだけ――いや、一ミリくらい、クラウドとアズラエルを連れてこなかったことを後悔した。

 

だが、ルナだってそうだろう。こんな展開を予想してはいない。

ルナはララの腕の中でかちこちに固まっている。冷凍うさぎ。

 

「ええっと――あの――お、おね、お願いしても、いいですか?」

「なんだい!?」

なんでもいいから、ルナからララの気を反らそう――そう思ったミシェルは何も考えず口にしていたが、ララが身を乗り出してきた。

「なんでも言って! なんでもお言いよ」

ミシェルは全身全霊でからだを反らしていたが、一歩間違えば自分もララの腕の中に突入しそうな、ララの勢いだった。

「あっ、あの――」

「なに!?」

 

――それは、天来のひらめきだったかもしれない。だってミシェルは、ほんとうになにも考えていなかったのだから。

 

「あ、あのっ! 真砂名神社のギャラリーに、入る許可をください!」

「え?」

ミシェルは言ってから、どうしてこのことを最初に思いつかなかったんだろうと思ったが、いきなりお願いごとをしろといわれても、戸惑うのが普通の反応だ。

ララはぽかんと口を開け――それから全開で笑った。

 

「ああ、ギャラリー――ギャラリーね。そうだった、そうだった。あそこは、今一般人立ち入り禁止にしてたんだ――あなた、そんなことぐらい――許可なんて、あなた」

ララはひとしきり笑った後、

「許可なんてしゃらくさいこと、――自由に入っておくれ。いつでも、好きなときに。あなたとルーシーは、真砂名神社のギャラリーだけじゃなく、この宇宙船の、どの美術館も、出入り自由にしてあげるから。株主の特別優待券をあげるよ」

 

ララが顎をしゃくると、シグルスが手持ちの黒いブリーフケースをさがし、二枚のプラスチックカードを取り出した。ゴールドカードで、E.C.Pの文字と、ヴォバール財団、の文字が刻印されている。ララがペンを取り出して、カードの裏に署名する。

シグルスがそれを、ルナとミシェルにうやうやしく手渡した。

 

「そのカードがあれば、宇宙船内の美術館、博物館、催し物の会場へはすべて無料で入れるからね」

「えっ!?」

ルナとミシェルの驚きの悲鳴に、ララは満足そうに微笑んだ。

「見たかったら、この美術館で展示するすべての絵画を、見せてあげてもいいよ。公開日関係なく――それから、アンジーの個展にも、あなたたちふたりはフリーパスだ」

小動物二匹がアワアワと口を開けているのを見て、ララは付け加えた。

「ああ、安心おし。ちゃんと、アンジーのいないときに招待するからね。――ねえ、ミシェル」

「は、はい?」

思いがけないプレゼントに目を白黒させていたミシェルが、あわててゴールドカードから目を上げた。

 

「あなたがアンジーの作品を好いてくれるのは嬉しいし、あたしは、これからもあなたと親しくしていきたい。だけどね、やはり、どんなに親しくなっても、あなたをアンジーの工房には招待できないと思う」

「……」

ミシェルは、ララの言葉の意味がわかった。

「分かってくれるかい? アンジーはおそらくこの先、あなたをライバル視するんじゃないかと思うんだ」

「ライバル!?」

あ、あたしがアンジェラのライバルなんてとあたふたするミシェルを、優しく見つめ、ララは続けた。

「芸術面というよりも――あたしのお気に入りの位置として。アンジーはあなたに嫉妬するかもしれない」

ミシェルは、ようやく静まった。

勘違いした自分が照れくさくて、頬を赤く染めながら。

「あたしにとって、あなたとアンジーは違う。だけれども、アンジーにはそれが分からない。アンジーはあの通り激しい子だから、あなたにはなるべく、アンジーを近づけたくないのさ。あなたのことは、あたしが全力で守るけれど、飛んで火にいるなんとやらは、避けた方がいいことも分かって欲しい」

「はい」

ミシェルは思いのほか、はっきり返事をしたので、ルナはびっくりした。

あれだけアンジェラの工房を見たいといっていたミシェルの、この数日間の変貌は、どうしたことだろう。

「あたしはアンジェラの作品が好きなので、それでいいです。アンジェラの個展にも招いてもらえるなんて、そんな、嬉しいことってありません。このカードも、ありがとうございます!」

「……すまないね」

ララはほんとうに申し訳なさそうに謝り、そして休憩するように、紅茶で口を潤した。

 

「そうだね、」

腕時計を見遣り、

「今から行こうか。真砂名神社のギャラリーにでも」

 

「ええっ!?」

こうさぎと子猫は、互いに顔を見合わせた。

タダイマ、午後三時二十分をお知らせシマス。

今から真砂名神社へ? ここはK13区だが、四時間はかかるだろう。

カザマとバグムントに見張りをお願いしたのは午後六時までだ。それ以上の延長は、多忙なふたりにも申し訳ないし、見張りがなくなったら、アズラエルとクラウドは、すぐルナたちを追いかけてくるだろう。なにしろ、クラウドは、ストーカーの必需品ともいえる機械を所持しているのだ。

 

「あ、……真砂名神社は今度で……」

「六時までに帰らないと、アズたちが……」

ルナとミシェルがぽそぽそというのに、ララはふかく――哀しげに嘆息し、

「二人を帰したくないのはやまやまだけどさ、」

「ひぎゃっ!」

ララは、今度は二人まとめて抱き寄せた。ララは美しくてしなやかだが、しっかり男性の体格を持っている。小動物二匹など、龍は軽々と言ったところか。

「あたしだって分別はあるわけさ――L18の男どもの嫉妬深さも承知の上――なにせ、ルーシーの今世のオトコは、あのアロンゾだ」

ねえ? とウィンクするララ。ルナは口をもごもごさせた。

「ちゃんと、六時までに帰してあげるから。もうすこしあたしに付き合っておくれよ」

帰るなんて、そんな寂しいこと言わないでさ、とララはふたりの髪に一度ずつ、ちゅっとやった。

ネコとウサギは、にぶい悲鳴をあげるしかない。

 

しかし――ここから真砂名神社まで、往復だって八時間かかるというのに、いったいどうやって六時までに家に帰るというのか。

ルナとミシェルの疑問に、ララはあっさりこたえた。

「“シャイン”があるじゃないか」