一週間後。 栄養失調で倒れることもなく、フライヤはぶじにレポートを満足いくまで仕上げることができた。それもこれも、家で食事を作ってくれたり、掃除洗濯をしてくれた母親のお蔭であり、母親を呼んでくれたエルドリウスのお蔭だ。 作りこんだ資料を、庶務部のプリンターでプリントアウトし、倉庫から空きダンボールをもってきて、紙の束をつめこんだ。 とりあえず、心身ともにフラフラだったが、ひどく充足していた。 ひさしぶりだ――こんな、達成感は。 「できました。これ、作戦立案部に持っていけばいいんですよね?」 管理官は目を剥いた。 彼のデスクにどかんと置かれたそれは、ダンボール二箱分。 中身はぜんぶ、紙。 「――あんた」 彼はやっと言った。 「ディスクにおさめるって手は、なかったの」 フライヤは口をあんぐりと開けた。 「ディスクで良かったんですか!?」 フライヤがあわてて要項を確かめると、“文書の提出はディスクでも可。”とちゃんと書かれていた。フライヤは恥ずかしすぎて顔を覆った。どちらにしろ、用紙一枚でいいものを、ダンボール二箱分もレポートを提出するような部署はないだろう。 管理官が目を白黒させていると、バターン! と庶務部のドアが無遠慮に開き、黒い軍服――心理作戦部の隊員がふたり入ってきた。 菓子を貪っていた庶務部の女たちは「きゃあ」だか「うわあ」とかいう悲鳴をあげて、部屋の隅まで逃げて行った。 心理作戦部隊員はそれらを一瞥し、まっすぐフライヤのもとへ向かってきた。 彼女ら二人は、フライヤも見知っている。 いつも心理作戦部にいけば会う、アイリーンの側近だ。 「アイリーン様の命令で来ました」 フライヤに敬礼して言った。 「なにか、お手伝いできることがあれば」 彼女らはいかめしい顔はしているが、フライヤにこっそりウィンクしてみせた。心理作戦部にかよううち、仲良くなったふたりだ。 (アイリーンも、エルドリウスさんも、ほんとに気がつくというか、手回しがいいというか) フライヤは感嘆とともに呆れもした。だが助かったのは事実だ。 ひとりでこのダンボールをはこぶのに、二往復しなければならなかったところだから。 「あ――じゃあ――これ運ぶの、てつだってくれますか」 「こちらですね」 「行先は、作戦立案部ですね」 大柄な隊員二人は、さっさとダンボールをひと箱ずつ持って、出て行った。フライヤは、「あ、じゃあ、いってきます」と管理官にあいさつし、二人の後を追った。 庶務部が、みな揃ってドアに突進し、フライヤたちの後姿をのぞく。 「心理作戦部の隊員を、アゴでつかってる……」 「すごいじゃない、あのこ……」 「いい気分だろ」 赤毛のほうが、笑いながら言った。 「なかなかないぜ? 僕たちをアゴでつかえる機会ってのは」 「そうかも」 フライヤが言うと、ふたりは双子みたいに声を揃えて笑った。彼女らはアイリーンの側近で、身長も大きい。双子みたいだが、赤の他人だ。片方は赤毛で、片方は金髪。ふたりとも一見、男にしかみえないが、赤毛の方は彼氏がいて、金髪の方は彼女がいる、名前だけで推測すれば、女たちだ。 「ありがとう、ほんとに助かったわ。あたし、二回に分けて運ぶつもりだったの」 フライヤの礼に、ふたりはなんでもないというように、眉を上げた。 「仕事だからいいんだよ。アイリーン様のご命令だから。そんなことより、届け終わったら、穴倉に来るだろ?」 赤毛が言った。心理作戦部の者たちは、みずからの部署を穴倉と言ってはばからない。 「アイリーン様がもう、首をなが〜くして待ってる」 金髪が、首をゆらしながら言ったので、フライヤは噴きだした。こわいこわいと最初は思っていたが、意外とひょうきんなふたりだった。 そしてアイリーンを心底、敬愛している。 「僕、こっそり見たんだけどさ、」 赤毛が声を低めて言った。 「今日のケーキは、ホールだぜ」 「マ、ジ、かよ!!」 甘いモノ好きの金髪が、よだれを流さんばかりの声を出す。 「フライヤががんばった記念だって――つうか、がんばりすぎだろ、この箱!」 「どこの部署も箱で出してねえよ」 「アイリーン様にこのこと報告したら、ケーキにろうそく、百本は刺すぜ。いや、ケーキが二段になるかもな!」 「ふたりにも、分け前があるかも」 「それ、最高!!」 赤毛と金髪は声をそろえて叫んだ。 久しぶりだったので、おしゃべりは尽きないまま、作戦立案部に着いた。 赤毛と金髪が「庶務部の資料を持ってまいりました」といって受け付けにどかんとダンボールを置くと、 「ああ、ごくろう――」 と言いかけた受付の軍人の顔がかたまった。それを見て、ふたりは噴き出しそうな顔をしたが必死でこらえた。フライヤは、いまさらだが、小さくなった。 まあ、そうだろう。どこも、箱で提出した部署はない。それだけは言える。 「庶務部?」 「はい」 「心理作戦部でなくて?」 「ええ」 受け付けの軍人は、ダンボールの一番上に貼られた庶務部のサインを見て、 「ほんとうだ……庶務部だ……」 と、呆然とメガネを押し上げた。 「見たか!! アイツの顔!!」 「『ほんとうだ……庶務部だ……』――マジうける!!」 赤毛と金髪は、作戦立案部まえの廊下を、爆笑しながら帰路に着いた。 「聞いたかフライヤ、さっきの! ――フライヤ?」 べちゃっと言う音がうしろから聞こえたので、ふたりはおもわず振り向いた。 「フライヤ、どこいった?」 赤毛の疑問は、すぐ解決した――ゆかを見たら、フライヤが顔面から、廊下に激突していた。 すなわち――倒れ伏していた。 「フライヤ! よくがんばったね!」 心理作戦部の隊長室の、重い扉が開いたとたん、アイリーンは両腕を広げてフライヤを出迎えたのだが、はいってきたのは、部下の赤毛の方だった。 「あれ? フ、フライヤは?」 いつもの威厳ある重厚な声もわすれて、地声で聞いてしまったアイリーンだったが、あとから入ってきた金髪がフライヤを背負っているのを見て、「どうしたんだ!?」と叫んだ。 「はあ、たぶん、……寝ています」 アイリーンの形相を見て、赤毛がしどろもどろに説明した。 「……作戦立案部にむかうとちゅうで、ここ一週間で、まいにち平均三時間くらいしか寝なかったって言ってましたから、……書類を提出したら安心して、オチちゃったんですね」 「ほ、ほんとうに寝ているだけか!? 病気なんじゃ、」 「大丈夫です、それは。ほんとうに寝ているだけです。ただ、ぶっ倒れたんで、顔面から、」 「顔面からだと!?」 「ええ、まあ、したたかに打ちましたよ鼻は。べちゃってすごい音しましたし――」 「なんで貴様ら、支えなかったんだ!!」 「ええっ!? も、申し訳ありません!! 気づかなかったんです!!」 まさか、ふたりで馬鹿笑いをしていて気づかなかったとは言えない。 「フライヤの可愛い鼻が潰れてしまったなら、貴様らの鼻をつぶしてやるところだぞ!!」 「もっ……申し訳ありません!! お許しを!! アイリーンさまっ!!」 土下座の体勢に入った金髪の背からフライヤをかっさらい、アイリーンは優しく――それは優しくソファに寝かせると、自前の鞭をしごきながら、鬼のような顔で、平伏した赤毛の背中を踏みつぶした。 赤毛の声が涙声になり――お許しください、お許し下さいと悲痛の響きを帯びた。 「おい――貴様――覚悟はいいな」 エーリヒですら戦慄する、白目の浮き立つ三白眼で見据えられた獲物は、泣くほかはなかった。背に振り下ろされた鞭の、びしりとしなる音と、赤毛のつんざく悲鳴に、フライヤは目を覚ました。 |